再掲:第三百十七夜・婉 容(えんよう)様 | 時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

2013年6月29日記事

 

英国名「エリザベス」様への鎮魂

 

清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の皇后、婉容様。

1906年11月13日~1946年6月20日、

わすか40歳足らずのご生涯。


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1987年の、ベルナルド・ベルトルッチ監督作品の映画

「The Last Emperor(ラスト・エンペラー)」では、

才媛、陳冲才媛(ジョアン・チェン)様が演じられ、

空虚で悲壮な皇后の姿をスクリーンに焼き付けておられました。


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ラスト・エンペラー、愛新覚羅 溥儀様。

300年近く続いた、清王朝最後の皇帝。

そして、日本が中国を侵略する上で、樹立した満州国の、

傀儡として据えられた皇帝。


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17歳にして皇后として嫁した婉容様は、

租界育ちで、西洋風な環境の中、英語も身に付けた少女。

溥儀様は廃帝であり、先々は、おそらく英国に移住できると信じ、

お輿入れを承諾されたとも言われます。

王朝の慣例として、皇后に先立ち、

前日に側室が入輿するような、別世界に入ることになるような、

想像もつかない世界に入るとは、思ってもいらっしゃらなかった?

いくらか、書物も読みましたが、映画「ラスト・エンペラー」、

大筋としては、史実に、かなり忠実だったのではないでしょうか。

私にとって、あの映画は、歴史という、時の流れの中での、

政治・価値観の問題として、印象深く、ラストシーン、

「コオロギ」が現わす、時代というものの残酷さに泣きました。

皇帝・溥儀様に関しては、昔も今も、どうも捉えどころが無い。


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婉容様、大変美しく、古い、はっきりしない画像の写真でも、

すぐに見分けがつくご容貌。

それだけに、溌剌とした、愛らしい笑顔が、

どんどん失われて、目には何も写されていない、

生きる屍、いや、それ以上に遣る瀬無い表情へと、

変化していかれるのが、悲しく、

軽やかに自転車に乗って興じられるお姿に胸が痛みます。


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空に羽ばたく小鳥のように、遠い国、新しい生き方を、

手にすることが、夢物語ではない環境にお育ちになられた方。

まさか、将来、籠の鳥どころか、見世物のように扱われるとは、

誰も想像できなかった未来でしょう。


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自伝、「我的前半生(我が半生)」の中で、溥儀様が、

皇后について書かれたのは、ただ、

「私が彼女について知っているのは、

吸毒(アヘン)の習慣に染まったこと、

許し得ない行為があったことぐらいである」とのみだそうです。


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実質的な夫婦生活はなかったと言われているご夫妻。

それでも、皇帝としての自尊心を傷付けられたという以外、

妻への何らかの心、お気持ちはなかったのでしょうか。

それとも、「皇帝」としては、「当然の心情」だったのか?


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側室の文繍様も、溥儀様の元から去られ、不遇のまま、

餓死に近い状態でお亡くなりになったと。

側室時代、婉容様に、強く反発意識を持たれていらした文繍様。

皮肉にも、溥儀様との御縁で、一生を不幸へと流されるのは同じ。

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婉容様のような美しさとは異なるものの、

この方も、どんなに女性が並んだ中でも、すぐにわかる。


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以前、テレビで、婉容様が、文繍様に宛てた手紙の内容を、

放送してました。婉容様的には「仲良くしたい」のでしょうけど、

文繍様が「かつ~んと来る女!」と思うのは解る気がした

・・・事だけ覚えてます。


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何を犠牲にしても逃げ出したい環境から逃げ出せただけ、一瞬、

文繍様、ご自分の行動で、満足出来た瞬間はあったかもしれない。

しかし、皇后・婉容様の、妻としては飼い殺しでありつつ、

「皇后」でなくてはならない日は続く。


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溥儀様が清朝第十二代皇帝として在位されたのが、

1908年12月2日~1912年2月12日。

退位後も、クーデターが起こるまでは、紫禁城内で生活。

そこで初めて強制的に退去させられたのが1924年。


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スコットランド人家庭教師、レジナルド・ジョンストン様の尽力で、

イギリスかオランダの庇護が求められたものの、

「内政干渉」として拒絶。結局、元から交流があった日本が受け入れを。

上海租界、天津租界での仮住まい、北京の日本公使何を経て、

天津日本租界の張園に、一行はおさまることに。


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この地点ではまだ、満州での未来が計画されていた訳ではないらしい。

それでも、婉容様は日本を嫌っていらして、

公式の場も殆ど姿を現わすことは拒否されたとか


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ますます不仲となる夫婦関係。

婉容様は、愛人の子供をご出産。産まれたばかりの赤子は、

ボイラー室に投げ込まれて殺されたと。

そして、婉容様の阿片中毒の始まり。

溥儀様はご離婚も考えられたと言われたいますが、

もっと早くちゃんと離婚して差しあげればよかったものを。


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溥儀様の満州国皇帝即位が決まっての旅順入りも、

ご同行ではなく、別々に移動されており、

婉容様に付き添ったのが、川島芳子様。


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1934年3月1日~1945年8月18日。

満州国皇帝として在位した溥儀様。

阿片中毒が悪化した婉容様は、歩くことさえままならない、

廃人となられてしまう。そして終戦。

溥儀様は日本への亡命の途中、捉えられ、

ソ連の強制収容所に送られることに。

婉容様は溥傑様へ嫁がれておられた嵯峨浩様や親族、

従者と共に、逃亡生活をしておられたものの、

禁断症状が出たことで、監獄に入り、中毒と栄養失調で死去。

後年、墓碑が造られたものの、遺骨はなく、

遺品が収められているそうです・・・


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1959年、模範囚として特赦令を受け、溥儀様釈放。

1962年、看護師の李淑賢様と御再婚。癌で亡くなられるまで、

5年を連れ添われています。

このご結婚でも、「夫婦生活」はなかったと、

奥様ご自身の証言がのこされています。

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美しく聡明で、輝く未来が待ち受けていた筈の婉容様。

その御生涯は、絶望に充たされ、嫁がれた後、

お幸せだったのは、死の瞬間だけだったのではと思ってしまう。

数々の困難、ご不幸はあれども、ご夫妻が心から、

愛し合われておられたように感じる、溥儀様の弟、

溥傑と、嵯峨侯爵家の令嬢、嵯峨浩様の存在が、

清王朝最後の日々の中、血が通う温もりのある、

人と人との、心ある繋がりとして、救いを感じさせてくれます。