チャーリー・チャップリン夫人歴・2年
Charles Spencer Chaplin, Jr(チャールズ・チャップリン)様
(1889年4月16日~1977年12月25日)
言わずと知れた、喜劇の神様。
この「スタイル」を創り出されたのだから、すごい。
比べると、個人的にはバスター・キートン様や、
ハロルド・ロイド様の方が、直球勝負で好きかも。
でも、やはり、チャップリン様は天才。私は「殺人狂時代」が好き。
1921年作品「キッド」
チャップリン様スタイルは、切なくじんわり来る感傷を伴う笑い、
社会・政治の風刺・批判をシニカルにとらえた笑いが強い。
1925年「黄金狂時代」
フォークに刺したパンにダンスをさせる有名な場面。
靴をゆでて、「御馳走」のつもりで食べるシーンもすごかった。
若き日のチャップリン様。小柄でらしたようですが、かなり美男子。
このお写真は1928年(39歳)頃のものだそうです。
先日のハースト様の時にご登場頂いた、マリオン・ディヴィス様と。
ハースト様が開かれるようなおしゃれなパーティーには、
進んで御参加されながらも、ご自身でパーティーを開くことはなく、
ケチ呼ばわりされつつも、「資金」は、あくまで映画に費やされたそう。
1931年作品「街の灯」、花売り娘との出会いのシーンでは、
3分の場面に一年以上にわたって342回のNGを出されたとか!
完成にかかった日数、何と534日。確かに資金が必要です。
ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード夫妻とともに、
配給会社ユナイテッド・アーティスツを設立もされておられます。
(現メトロ・ゴールドウィン・メイヤー傘下)
俳優がプロデューサーを介さず映画製作が出来る場の誕生。
作品でも「独裁者」等、政治的主張が明確だった方で、
アメリカの「赤狩り」の嵐の時代、難しい立場でらっしゃって、
1952年、トルーマン政権の法務長官から、
実質的な、国外追放、入国禁止命令を受けられました。
20年後1972年、アカデミー賞特別賞受賞の為、
再度アメリカへ。この「特別賞」は「謝罪」のようなものだった?
ものすごい駈け足の「チャールズ・チャップリン様」でした。
本日の興味は、チャップリン様の奥様。
御結婚前も、もちろんモテモテでらして、有名なのは、
1915年から1917年の間、共演、お付き合いされてらした、
エドナ・パーヴァイアンス様。
恋愛関係が解消された後も、映画登用は続き、
ご出演がなくなっても、一生お給料が支払われたそうです。
62歳で癌で亡くなられておられますが、
「晩年に必要な医療ケアを受けることが出来たのは、
チャップリンのお陰です」とおっしゃられてらしたという事で、
いい関係でらしたんですね。
![時は止まる君は美しい](https://stat.ameba.jp/user_images/20121014/11/irusutyuu/ec/95/j/t02200173_0800063012236122336.jpg?caw=800)
超有名・悪幼妻、というと二人目の奥様、リタ・グレイ様。
(7歳から見知って、16歳、妊娠の責任を負って1924年御結婚)
お子さん、もうお一人授かってらっしゃいますけど、
1927年1月10日にリタ夫人が出した離婚申告書の始まる、
最後には、チャップリン様が世間に同情されてしまう超歴史的泥沼。
あからさまな、暴露の連続で、チャップリン様白髪に。
この裁判で、世間に浸透してしまった、性的語彙があるほど。
8月22日、離婚成立。この裁判で「サーカス」の撮影が、
ほぼ1年遅れたそうです。
しかし、本日は、「おおっ、可愛いじゃないですか」だったので、
初婚のお相手、ミルドレット・ハリス様を。
![時は止まる君は美しい](https://stat.ameba.jp/user_images/20121014/11/irusutyuu/53/9b/j/t02200444_0238048012236135431.jpg?caw=800)
ミルドレッド様14歳の時、パーティーで知り合われ、
妊娠したと言われて責任をとられて御成婚。
1918年10月23日。ミルドレッド様16歳。
当時29歳のチャップリン様のニックネームは「小児科医」。
まあ、たいていの男性が「女は若い」のがお好きですし?
「若くて可愛い」もん。
すごい早業なのは「ハリウッド」も同じ?
御結婚の48時間後には、ルイス・B・メイヤー御大が、
ミルドレッド様をスカウト、契約しちゃってる所。
![時は止まる君は美しい](https://stat.ameba.jp/user_images/20121014/11/irusutyuu/1f/88/j/t01700211_0170021112236133115.jpg?caw=800)
う~ん、見事、メアリー・ピックフォード様もどきに変身のスタイル。
「チャップリン夫人」なので、映画デビューはもちろん主役。
「黎明の女性」という作品で、夫婦喧嘩をモチーフにしたもの。
責任をとっての結婚という事で、望んだものではなかった?
当初から夫婦仲は芳しくなく、チャップリン様は、
名優、ダグラス・フェアバンクス様に、妻の頭があまりよくないと、
こぼしておられたとも言います。
しかしなあ、確かにチャップリン様は天才でらっしゃるだろうし、
「英雄色を好む」で、十代も前半の人生も知識もこれからな子を
相手にして遊ばせていたのでは、結婚したからって、
いきなり「知的で聡明」な妻にはなれないでしょう?
赤ちゃんは、生まれたものの、身体に問題があり、
3日の命しかなく、苦しい思いをしたのでしょう、
葬儀社の人が、初めての「笑顔」を作り上げたと言われています。
「ノーマン・スペンサー・チャップリン」と命名された赤ちゃんでした。
女優としての才能はあまりなかったそうですが、
メイヤー様は「チャップリンの妻」をうたって、キャンペーンを繰り広げ、
そうでなくても、溝があった夫婦仲は、ますます悪化。
こじれた夫婦仲は、お互いが相手を非難し合う関係へ。
夫の暴力、妻の浮気の記事が、新聞を賑わせたとか。
ミルドレッド様が入り浸ったのが、エキセントリックで有名な女優、
アラ・ナジモヴァ様邸・・・というのも、危険な香りが。
あの頃の映画で言う、最後の字幕、
「かくして一巻の終わりでございます」・・・な、御結婚でした。
ぷっつん来てらした、チャップリン様、お別れの年に、
一発かましてらっしゃいます。(かまされてか?)
ホテルの食堂でメイヤー様と出会ったチャップリン様は、
「慰謝料、つり上げさせてるのはお前だろう」と始まり、
ロビーに向かうメイヤー様も、チャップリン様をへんた*呼ばわり。
チャップリン様が、挑んだ喧嘩は、ボクシングの経験がある、
メイヤー様の「一発」で、終了した・・・と、
これまた、御当人は大変ながら、それこそ、
サイレント映画の短編喜劇のような一幕。
ミルドレット・ハリス様、その後、2回御結婚。
1901年11月29日~1944年7月20日 享年42歳。
1936年「モダン・タイムス」、1940年「独裁者」ご共演の、
ポーレット・ゴダード様とは事実婚。
1943年53歳、遂に生涯の伴侶、ウーナ・オニール様と出会い、
速攻で御結婚。写真は指輪交換の時のもの。ウーナ様、18歳。
作家、ユージン・オニール様のお嬢様。
チャップリン様、かくしてやっと、「若くて知的」な妻をゲット。
女優として有名なジェラルディン・チャップリン様を筆頭に、
8人!のお子様に恵まれていらっしゃいます。
親日家で、数度の来日をされてらっしゃるチャップリン様。
初め運転手だった、高野虎市様がマネージャーでらした期間も。
日本橋「花長」で、海老のてんぷらを36尾召し上がれたのは、
有名なお話し。さすが、エネルギッシュ。
人生、紆余曲折ありながら、穏やかに、晩年をお過ごしになられ、
よかった、よかった。見るからにお幸せそうですもの。
天に召されたのが、クリスマス。最期まで柔らか。
かわいい「喜劇王」。
↓ この「メイク」無しの「笑い」の1枚、大好きです。
手塚治虫先生曰く、
「私の漫画の手法はチャップリンなしに考えられない」