再掲:第二百十二夜・岸 恵子様 | 時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

2012年10月9日記事

 

 

奇しくも「国際派」続き?

しかし、岸様の場合「あたくしは作家の方に求められただけですもの。

今の日本の方々存じ上げませんの。」

とか、言い放ちそう(いや、仰った)。で、この方のトークはちょっと苦手。

 

 

女優さんとしてや、著書、お住まいのお家とかは大好き!

 

 

 

 

美・東西比較?

 

最近、殆どの「夜」が海外がテーマ。何故か。

日本の俳優・作家・美術、本当に好きなのに。

なのに「夜」しにくい原因はひとつ。

日本の資料は、「今」が中心で、写真が集まらないから。

なら、海外でも、知名度がある方ならどうだろう?と、

岸恵子様(1932年8月11日~)にご登場願いました。


 

まずは、keiko kishiで、検索させて頂いた物から。

もちろん、「岸恵子」や「岸恵子+作品名」等で検索させて頂いた

お写真で、同じものがあったりもしますが、
さくっと出て来た方を東西分け基準にして分けちゃいました。


 

 

手元に、2001年発刊のエランという雑誌の創刊号、

岸恵子様特集号があるので、そのインタビュー記事から、

抜粋させて頂きながら、お写真、拝見させて頂きます。

(ああ、いい雑誌だった・・・好きな雑誌に限って廃刊になる)  



私は小説家になりたかったの。

その作品を持って、いとこが川端康成先生の弟子筋だったので、

身の程知らずにもお会いしに行ったんです」(略)

時々私に視線を走らせていた作家の眼が、その時、

真正面からじっとわたしを見つめていた。(略)


 

作家とは、こういう眼をしている人のみに許される天職なのだ、

と思った。私は出されていた桜茶を取った。手が震えていた。

茶碗が手から滑り落ち、お茶は私の膝もとからスカートへ、

そして畳へと流れていった。(略)

この日、私は女優になることに決めた。


 

「私が女優になることを決めたのは、川端先生の眼なのね。

あの深いたくさんの秘密がかくされているような眼。」

 



時は止まる君は美しい

 

 

「それから年月がたって、私は『雪国』の駒子を演じ、

撮影が終わってすぐパリに渡ったんですが、

いざ結婚というとき、私側の立会人がいなかったの。

そのころは、日本から出国するには厳しい制限があったんです。

幸運なことに、ちょうど川端先生が国際ペンクラブの件で

パリに滞在しておられて、先生が、結婚式の立会人を

かって出てくださいました」

 

「私たちの結婚式の立会人になっていただくことになって、

先生と夫と私、三人で食卓を囲んだの。

そのとき前菜に出た白いアスパラガスを、先生は、

細い美しい指でつまんですらりと食べられたんです。

フランスの食通の食べ方。あんなに小粋に、

アスパラガスを手づかみで食べた日本人の男性を、

私はその後、見たことがない」

 

 

↑ こちらは、川端康成先生のノーベル文学賞受賞の時ですね。


 

ジャン・マレー様と。  


時は止まる君は美しい

 

『影絵ー濡れ衣の妻』とタイトルされた本を渡しながら、

ジャン・コクトー氏は言ったのです。

 

 

 

「二十三歳の時に書いた私の処女戯曲です。

いろいろな女優が主役を演じたいと申し入れてくれましたが、

先日のパーティーであなたを見かけるまで、

私は何十年も上映を禁じてきました。

二十三歳の私には、まだ生まれていないあなたが、

ちゃーんと見えていたんですよ」

 


 

 

「イヴ・シャンピは、私をスターでなく、ひとりの女性として

扱ってくれた、初めての人でした」

11歳年上の、フランスきっての人間的、知的指導者との生活、

それは、内面への刺激に満ちていて、その個性あふれる

アトリエ風の家も大好きでした。

時は止まる君は美しい

 

 

1960年、市川崑監督作品『おとうおと』

 

 

出典不明。(調べろよ?)

 

1965年、小林正樹監督作品『怪談』   




時は止まる君は美しい-雪女

 

 

フランス語を覚え、パリの映画人、作家、詩人など、

ひっきりなしに訪れる客をもてなす、シャンピ家の女主人に

徹していました。

けれど、度重なる日本行き、その長期不在にシャンピ氏は

つぶやきました。

「恵子のなかの日本に僕は勝てなかった」 

 

 

シドニー・ポラック監督、ロバート・ミッチャム様と。

1974年『ザ・ヤクザ』 

 



 

1975年、イヴ・シャンピ監督と、紆余曲折の末、離婚。

しかし、シャンピ監督が亡くなるまで、信頼を寄せ合う関係は続く。

 



 

 

1972年、斎藤耕一監督作品『約束』

1975年、蔵原惟繕監督作品『雨のアムステルダム』

 

 

萩原健一様と。


 

 

1983年、市川崑監督作品『細雪』


 

資生堂の広告写真。上品でお美しい。

衣装が素晴らしいですね。手鏡も。

ここまでが「keiko kishi」で検索の写真。

ここからは「岸恵子」等で検索したもの。

 


時は止まる君は美しい

 

 

「急に雨が激しく振り始めて、傘を持たずに出た父を

車で迎えに行ってもらったのに、父はずぶ濡れで帰ってきたんです。

『車をありがとう。乗らずに返して悪かった。

恵子には恵子の生活があり、ぼくにはぼくの生き方がある』

と言いました。そこまで自分の生き方を守った父でした。」  

 

時は止まる君は美しい-日本

 

 

 

「両親にずいぶん可愛がられて育ったのに、私は親不孝ですよね。

フランスに行っちゃって。父は、フランス滞在中に患い、  

パリで亡くなりました」

時は止まる君は美しい-君の名は

 

1953年~1954年、大庭秀雄監督作品『君の名は』三部作。


時は止まる君は美しい

 

合計6時間以上。すれ違い続ける二人???

ああ、素敵。真知子巻き。



 

撮影中。佐多啓二様(中井貴一様、輪郭似てらっしゃるわ)と。








 

 

 

 

 

 

 

1957年、豊田四郎監督作品『雪国』

池辺亮様、島村役。


時は止まる君は美しい

 

最初に撮影され、思い描いていた駒子像と違っていて、

監督からの駄目出しが続いた中、池辺亮様の気遣いのひとことで、

すっとふっ切れ、演技にOKが出たとおっしゃるシーン。


時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

 

おおっ、『雪国』は割と写真があった!

川端康成様と、というお写真もあったのですが、

ちょっと、岸恵子様かどうか、自信が持てなかったので、

残念ながらパス。


時は止まる君は美しい-長嶋茂雄

 

パリのシャンピ邸にて。長嶋茂雄様他、野球関係者の方々と。


時は止まる君は美しい

 

「私は、年だの病気だの、そんな贅沢なこと言ってられない、

ってけっこう疲れを知らない女だったの。

でも、母に死なれてみると、ああ、もういつ死んでもいいんだ、

と思ったら、なんか人生観っていうか景色が変わってしまって。

困ったものね。急に疲れを感じたり、

人並みに熱も出すようになりました」  

 






 

 

 

 

1978年、市川崑監督作品『女王蜂』

下のお写真では、石坂浩二:金田一耕介様のすぐ後ろ。

この時で45歳でらっしゃいます。


時は止まる君は美しい

 

「嵐がくる前の、黒雲が走る一瞬もとても好き。

なんとも言えず荒々しい色、空気。

すごみのある景色に惹かれます」


時は止まる君は美しい

 

映画スターの方々が、本当に、星のように輝いていらした時代から、

映画とテレビが混然とした作品も多い現代まで、

時代の流れ、住む国に関わらず、全く揺るがない、

「岸恵子」であり続ける岸恵子様。今年で御歳80歳。

これからも素敵な老い方を拝見させて下さいませ。

こうして、世界規模でお写真を探せる方・・・

 

 

 

時間を経て、今、岸様米寿88歳。

 

 

「何歳になったからって、決意や目標はありません。

私、自分をめげない人間だと思っているの。

誰かに頼ったことがない。

そんな生き方をしてきましたので、これからもそうするだけ」だそうです。

 

 

誰にも助けられていない人なんていないと、みどりは想いますけどね。

 


その傲慢さが魅力となってしまう、岸恵子様であります。

 

 

お写真探していると、夏目雅子様の初期のこの写真がよくご出現。

どことなく、解る気がする岸様のショット、この中にも数枚あります。

全体的には全然似てらっしゃらないのに不思議。目ですかね?