再掲・第二百五夜・アナイス・ニン(Anaïs Nin)様 | 時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

2012年10月1日記事

 

エキセントリックな美学

 

アナイス・ニン様、1903年2月21日~1977年1月14日

「Angela Anais Juana Antolina Rosa Edelmira Nin y Culmell」

幼少名、長い!一行で入らないかと思った。







20代の初め頃、憧れた人に、勧められたのが、

高橋和己様の『邪宗門』、

ヴォリス・ヴィアン様の『日々の泡』等と共に、

勧められたのが、アナイス・ニン様。ああ、若かった・・・

 


 

こちら、1976年のお写真ですので、その方の青春時代、

一種のアイコン的な存在でもいらしたのかも。ニン様。


 

こちらはニン様、17歳。

 

 

どういう方かと言うと、小説や評論を発表されたり、

映画にご出演されたりもされておられますが、

やはり、11歳から、60年以上の間、日記を書き続けた、

「日記」という、自己そのもので高名な女性?


 

憧れの人のお勧め(しつこい)でしたので、当時は修正版だった、

『アナイス・ニンの日記 ヘンリー・ミラーとパリで』

(河出書房新社、1931年~1934年分)が手元にあります。


         時は止まる君は美しい

 

第一の夫君、ヒュー・パーカー・ギラー様 (1898年~1985年)の、

没後に、第二の夫君ルパート・ポール様が、無修正版を発行。

そちらは未読です。比べて拝読したら「女性自身」的、

覗き見的?な、楽しさがあるかも。ギラー様と夫婦でありつつ、

ヘンリー・ミラー様の愛人であるとともに、その細君ジューン様とも、

恋愛関係にあったとも言われる、三角・四角・五角・・・

増加し続けるニン様中心関係。実父ホアキン・ニン様との、

関係の記載も、無修正版にはある(修正版でも暗示は)とのことで、

「タブー」はない無法地帯、ニン様の人生探求。

 

 

 


 


 

ギラー様とのお写真。

ニン様、すごいのが、ポール様と重婚関係でありながら、

亡くなるまで、キラー様が、それを知らなかったという事。


 

こんなお写真が遺されているということは、

ヘンリー・ミラー様とも、円満な関係を長く続けられていらした?

なかなかいらっしゃらないタイプだと思うので、

ツボな男性は、そんな彼女に愛されるのは代え難いことかも。

 




 

こちら2枚は、晩年は精神病院に入られていらしたという、

ジューン・ミラー様の若き日のお写真。

ボヘミアンな作家の周囲は「火宅」なもの?

ヘンリー・ミラー様の放浪の日々。その資金は、

ジューン様が身を売って作っていたとも。






 

今も、手元にあるニン様の日記を拝見しつつ書いております。

こうして「夜」の時間を、お写真と共に過ごすと、

その人の生きていらした時間の何かしらが、

流れ込んで来るような気がします。「理解」とはまた違う何か。

 

 







 

 


 

 

それは胸苦しいほどに押し寄せて来たりも。

「私」を連綿と書き綴った膨大な日記が、時間を呼び戻すように。

「私」「私」「私」「私」・・・


                  1971年

 


 

1975年。とても、2年後に亡くなられるとは思えない若々しさ。

 

 

スタートはどんなでらしたのか?少女時代のお写真一枚。


 

1990年、フィリップ・カウフマン監督が、日記の無修正版を元に、

『ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女(Henry & June)』、

アメリカ初のNC-17(17歳以下観覧禁止映画)を発表。

エコール・ド・パリの光と闇の美学。


 

アナイス・ニン役にマリア・デ・メディロス様。

(他に2003年『死ぬまでにしたい10のこと』等)


 

ジューン・ミラー役に、ユマ・サーマン様(当時20歳)。


 

 

ヘンリー・ミラー役にフレッド・ウォード様。

(他に1992年「ザ・プレイヤー」等)


 

以下、少しだけ、ニン様の日記を抜粋させて頂きつつ、

映画のお写真を。


 

「わたしはわたしの生を夢の中で生き直さなければならない。

夢がわたしの唯一の生なのだ」


 

 

「ジューンはひとえに存在しているだけなのだ。

彼女には自分自身の思想も、空想もない。彼女の容貌や肉体から

インスピレーションを受けた他の人びとから与えられたものが

あるにすぎない。それは獲得したものなのだ。」

 

 

「ヘンリーは自分のすることに恥を感じることは一度もない。

彼はみすぼらしいもの、小さなもの、些細なもの、醜いもの、

空虚なもの、何でも受けいれる。彼は総括的なものだ。

批評的ではない。私はヘンリーの無批判性を

自分のもって生まれた完全主義からの息抜きとして

尊重したのだろうか?」


 

 

 

「ジューンとわたしはビロードのような親しい感触で

わたしたちをつつむ、やわらかいモーヴ色の光が

一面にみなぎった店で一緒に昼食をとった。

わたしたちは帽子を脱いで、シャンペンを飲み、

牡蠣を食べた。わたしたちは二人にしか聞き取れない

半音、四分の一音で喋った。」


 

「この日記はわたしのキーフ、大麻(ハシーシ)、阿片のパイプだ。

これはわたしの麻薬、わたしの悪癖だ。小説を書くかわりに、

わたしはこの日記帳とペンを持って寝そべり、夢想し、

あれこれともの思いにふける。すると昼のあいだわたしを緊張させ、

眼を見開かせているあのはげしく駆りたてる焦燥感は、

即興や瞑想のうちに溶けてしまう。」


        時は止まる君は美しい

 

「あとで思いだされることはわたしにはそれほど真実には思えない。

わたしにはどうしても真実が必要なのだ!

わたしが生きるそばから、それが距離や時間によって変えられ、

修正される前に書かずにはいられないのは、

じかに記録しなければならないという必要に

迫られているからにちがいない。」


 

「わたしはジューンの美しさとヘンリーの才能のあいだで、

わなにかかってしまったのだ。異なった方法でわたしは

彼らの双方につくしている。それぞれにわたしの一部が

惹かれている。わたしのなかの作家は

ヘンリーに関心を抱いている。ヘンリーはわたしに

創作の世界を与えてくれ、ジューンは危険を与えてくれる。

わたしはどちらかを選ばなければいけないのに、

それができない。」


 

「先夜、彼女は帰宅するなり『あなたが地上で

いちばん誠実な男だと信じているわ』と言ったのだそうだ。

ブロンドの髪を肩にふさふさと垂らして

ヘンリーのベッドに坐っているジューンが

どんなに美しく見えたか、わたしは忘れることができない。

そして『ばかだなあ、君は、まったく。

だからぼくはそれを真面目にとれないんだ』と

ヘンリーにいわせるような言葉をあんな美人が口にするなんて、

何かに呪われているような感じだった。」

 

「大きな愛なんてみつからなかったわ、

わたしを通して自分自身が大きくなることだけを求めている

大いなるエゴイストたちに出会っただけよ、

と彼女は不平をいう。」


 

 

「その夜語られたことはどれも不思議な重み、悲しみ、譲歩、

敗北のひびきを帯びていた。わたしには彼女の心につきまとう

抽象的なイメージが感知できた、彼女の失われた若さと新鮮さが

わたしのなかに再現されているというイメージが。」


 

「わたしたちは二人とも自分を否定して相手になり変わりたい、

と願っていたのだ。

わたしたちは煙草を喫いながら、そしてジューンは

ときおり歩きまわりながら、夜が明けるまで喋った」


 

「愛する日記よ、わたしは藝術家としてのわたしの

妨げになってきた。けれど同時にわたしを人間として

生きつづけさせてくれた。あなたを創造したのは

友達が必要だったから。そしてこの友達に

話しかけていて、わたしは、おそらく、

人生を空費してしまったのだ。」


       時は止まる君は美しい

 

いやもう、まったく「空費」どころではない濃さの、

綿密な時間が、怒涛のように押し寄せて来る気がします。

 

最後の一枚は、映画ではなく、ニン様の官能小説

「ヴィーナスのデルタ」に捧げられたオマージュ写真。