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森高が発表したシングルで初めて自ら楽器演奏(ドラムス等)を行ったものである。
渡良瀬橋で夕日を見ながら別れた人を思い出す、という内容である。
背景
森高が1993年に新曲をリリースする際、特にイメージが沸かず困っていた頃、橋の詞を作ることにし地図を広げ「言葉の響きの美しい川や橋」を探し、「渡良瀬川」という文字が気に入った。森高は1989年に足利工業大学でライブを行っており、大学のある足利市内に渡良瀬橋という橋があることが分かり、その後、現地を再訪して橋の周辺を散策、そのイメージを使って詞を書いた。なお、歌詞中の「渡良瀬川の河原」は、この橋の南側から下った河原で、森高は、川の流れを見ていた時に風がとても冷たかったので、そのまま歌詞にした旨を語っている。
反響
森高は、リリース直後に足利市役所からレコード会社へ「この曲の渡良瀬橋は足利市の渡良瀬橋ですか?」と問い合わせが来た際、「足利にも住んだことのない熊本出身者がわかったふうなことを書くな!」と叱責を受けるかと思い、少し反省した旨を語る。
1993年に足利市民会館でライブを行った際、アンコールでこの曲を歌ったところ、場内から自然と大合唱が起こり、森高が感極まって涙する場面もあった。
渡良瀬橋付近に建てられた歌碑
この曲のヒットを受けて、森高は足利市から感謝状を贈られた。また2007年には渡良瀬橋と夕日が共に見える場所に歌碑が建立された。
2015年7月24日には森高が足利市より「あしかが輝き大使」に任命され、同時に、表題曲が、この橋の最寄り駅である東武鉄道の東武伊勢崎線足利市駅に列車接近メロディーとして、またJR東日本の両毛線足利駅に発車メロディとして採用された。
歌詞における実在の場所
表題曲の歌詞には渡良瀬橋以外にも実在の場所が登場する。
歌詞に現れる「八雲神社」と同名の神社は足利市内に複数あるが、森高は、これは響きがメロディに合うため選んだもので、いずれの八雲神社も歌詞中のものに該当するものであり、また、八雲神社に限らず馴染みの神社を思い浮かべて当楽曲を聴いてほしい旨を語っている。なお渡良瀬橋に最も近いのは、北詰より徒歩約5分に位置する通5丁目の神社であるが、プロモーションCDでは、西へ1km程離れた緑町1丁目の神社(足利公園に隣接する)が示されており、この神社が火災に遭った際には、森高は200万円余りの再建のための寄付をしている。
歌詞中の「床屋の角にぽつんとある公衆電話」も足利公園近くにある。
この公衆電話は、利用者の減少によりNTT東日本が撤去対象としていたが、市側の要望で撤去が回避された。
渡良瀬橋は、栃木県足利市のほぼ中央を流れる渡良瀬川に架かる下路平行弦6連ワーレントラス橋。橋長243.27m、幅員5.5m。
森高千里がこの橋をモデルに同名の楽曲を発表したことによって存在が全国的に知られるようになり、観光名所となっている。
渡良瀬橋は栃木県道5号足利太田線に指定され、東武伊勢崎線足利市駅から西へ約500mほどのところにある。
橋の上より望む夕日の美しさは森高の曲に歌われるほどで、西側に並行して架かる歩行者・自転車専用の橋から夕日を見ることが可能である。なお実際の渡良瀬橋には歩道はなく、渡良瀬橋は歩行者および自転車の通行が禁止されており、その旨の標識が設置されている。
1992年以前は地元の人間でも半数以上は別名の「鉄橋(てっきょう)」と呼んでいたため渡良瀬橋をあまり認識していなかった。呼び名のとおり鉄道の橋のような外観で、国交省の事務所が近くにあることから強度など安全面は点検されていたと思われるが、見た目は手入れもされず、鉄は所々錆びが出て茶色っぽい色の橋で鳥が巣を作っていた程であった。中心街に架かる3つの橋は下流から「田中橋」、「中橋」、「鉄橋」と呼ばれるのが一般的であった。しかし、1992年に森高が「渡良瀬橋」を歌うと「渡良瀬橋ってどの橋???」となり、一気に知名度が上がり、地元も力を入れ出し、外観も綺麗に塗装されて夜にはライトアップまでされ今では足利の観光名所の一つとなった。
*私も上記に書かれてるように思っていました(20代の頃より渡良瀬橋は知っていました)
橋の周囲には「渡良瀬橋」の歌碑が2007年に建てられ、碑の横のボタンを押すと「渡良瀬橋」が流れる。
~Wikipedia~