「寺崎クリニック」の寺崎豊博先生をご紹介します | 晴れ時々ジャズ

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日々の雑感とともに、フランスを中心に最新の欧州ジャズについて書いています。

当ブログでぜひご紹介したいお医者様がいます。

今年の10月に奈良県で「寺崎クリニック」 を開業され、地元の医療に貢献なさっている寺崎豊博さんです。寺崎さんは、「寺崎クリニック」 を開業されるまで京都府の舞鶴赤十字病院で泌尿器科の部長としてご活躍なさっていました。

「寺崎クリニック」 の診療科目は、内科、泌尿器科、皮膚科です。
インフルエンザ予防接種は、奈良市在住の65歳以上の方は1000円(今年から予防接種通知書は送付されなくなりましたのでご注意ください)、一般の方は2000円です。
「寺崎クリニック」 は、近鉄「奈良」駅を南へ徒歩10分のところにありす。

==== 「寺崎クリニック」 の診療方針 ====

 「寺崎クリニック」のモットーは「和顔愛語」です。長年手術をさせていただいて参りました医師として、また介護や緩和医療を学んできた経験から「痛みや苦しみをいかに和らげて差し上げられるか」はこれからの私のテーマとなります。幸福が全ての人の望みであるとすれば、その望みを妨げる最大の要因は病気や病気に起因する苦痛だと考えます。すべての人々がいつまでも「優しい顔で愛情深き言葉で互いに接する事」ができるように努力したいと考えます。この精神の基として義父も実践し続けた緒方洪庵の「医戒」を揚げました。」
                                    *「寺崎クリニック」のホームページより

「寺崎クリニック」 について詳しくは、↓こちらのホームページをご覧ください。
             http://www.myclinic.ne.jp/tsmm12638/pc/


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以下にエピソードも交え、寺崎さんの人となりを私なりに少し語ってみたいと思います。


私が寺崎さんに初めて出会ったのは8年前の1月のことです。寺崎さんと私は、偶然に、地元で行われた松尾葉子指揮による『第九』演奏会に合唱で参加した後、同じ日に地元のM合唱団の門を叩きました。M合唱団が週一の練習で使っている会場の外で鍵が開くのを待っているとき、お互いの簡単な自己紹介をし、寺崎さんからはお名刺をいただきました。気さくな感じで好感の持てる人だなと思ったのをよく覚えています。

同年の春に行われたM合唱団の合宿で、昼間の猛練習(?)が終わると夜はお楽しみの宴会となり、寺崎さんと私は席が向かい合わせとなりました。そのとき、話題が出身地や年齢のことになりまして...
寺崎:「アーティチョークさんてどこの生まれ?」
アーティチョーク:「○○県です。」
寺崎:「わ、僕と一緒や。」
アーティチョーク:「そうなんですか~。私、○○県立○○病院で生まれたんです。雨降りの日曜日に。」
寺崎:「え?僕が生まれた病院と一緒やん。」
アーティチョーク:「ほんまですか?偶然ですねえ。」
寺崎:「当時、○○県のあの辺は、他にあそこぐらいしか病院がなかったから、そんなに凄い偶然ではないと思うけどね。」
アーティチョーク:「ところでね。私と、ピアニストのKさんと、ソプラノのHさんは同い年なんですよぉ~。」
寺崎:「ほほう。で、何歳?」
アーティチョーク:「○○歳。」
寺崎:「僕も○○歳。」
アーティチョーク:「えーっ!?」
寺崎:「ひょっとして、誕生日いつ?」
アーティチョーク:「○○月○○日。」
寺崎:「僕、○○月○○日。」
アーティチョーク:「てことは、私と寺崎さんの誕生日って4日しか違わへんてことですね。」
寺崎:「うん。」
アーティチョーク:「ええーっ!?ほんなら、私ら、新生児室の隣同士のベッドでオギャーオギャーって泣きあいしてたかもしれへんということですか?(笑)」
寺崎:「その可能性は非常に高いね(笑)」
アーティチョーク:「これって、もの凄い奇遇とちゃいます?おんなじ病院の隣同士のベッドで泣きあいしてたかもしれん赤ちゃんが、おじさんとおばさんになって、○○県○○市から遠く離れた○○市の合唱団で一緒に歌ってるやなんて!!」(と、こんな具合でキャーキャーと盛り上がりながら、合宿の夜は更けていくのでありました...)
これ以来、寺崎さんと私との距離がぐっと縮まったような気がしました。

たまにお仕事に関するお話をちらりと伺うこともあったのですが、勤務医で特に腕のいい医師というのは激務を強いられるものなのだなあと私は思ったものです。寺崎さんは週一回の練習も欠席がちでしたが、努力家なので歌の自己練習も怠らず、演奏会(年間を通して7回以上)には極力出演してくださいました。寺崎さんはバスで私はアルト。歌うときの2人は離れていますからお互いの声を聴く機会はほとんどありませんでしたが、一度カラオケで寺崎さんの歌を聴いてびっくり、上手いのなんのって、もうプロ並みですよ!テナーの声域まで軽くカバーする音域の広さにも感心したものです。

また、寺崎さんはレクリエーション行事にも大変協力的で、当団にとっては欠かせないちょっとした逸材的存在だったのですよ。たとえば、合唱団のクリスマスパーティーで「白い巨塔」の財前教授の愛人役をしてくださったことがありました(財前教授の役は私でした)。着物を着てカツラを着けメイクアップした寺崎さんのお姿は、忘れようと思っても忘れられるものではありません(笑)そのときの写真が何枚か手元にありますが、何度見てもプッ!と吹き出してしまいます。スキャナを使って当ブログに写真をアップしてもいいのですが、「寺崎クリニック」の患者さんが減るといけませんので(笑)
ほかにもやはりクリスマスパーティーでソプラノのHさんの脚本による「冬のソナタ」ならぬ「冬のそんなあ...(汗)」(←大作だぜ!)のヨン様役(このときの私は黒子&小道具係)。これはたくさんの合唱団が集まって毎年行われる府下合唱団交歓演奏会のパーティーでも再上演となりましたが、大受けだったようです。「キャー♪」という、おば様たちの黄色い声があちこちから飛んでましたから(笑)
「マツケンサンバ」の松平健の役も板についていましたっけ。このときは振付指導も寺崎さんだったのです。あの時のクリスマスパーティーも楽しかったな~。寺崎さんと私は、なぜか毎年のように一緒にクリスマスパーティーの実行委員を仰せつかっていましたね。今となっては懐かしい思い出です。
でもでも、寺崎さんという貴重な逸材がいなくなった当合唱団のレクリエーションは、これから一体どうすればいいんでしょう(笑)クリスマスのときだけでもいいですから、寺崎さん、M合唱団に帰ってきてくださいますか?(マジです)

寺崎さんのお人柄を一言で申しますと明朗闊達。常にユーモア精神と他人への思いやりを忘れない人だと思います。いつも私の横で歌っているアルトのSさんも、こう仰っていましたよ。
「寺崎さんは、お医者さんなのに、控えめでちっともエラぶったところがないのよね。歌も上手いし、面白いし。あの人が団からいなくなるのは寂しいし、団にとっても痛手やわ~。」
寺崎さんは当合唱団のみんなに好かれていたと思います。寺崎豊博さんのお人柄は、私も保証いたします!

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奈良県にお住まいのジャズファンのみなさん!

いや、別に奈良県以外のかたでも、ジャズファンでなくてもよいのですが...。

「晴れ時々ジャズ」の紹介を見て来院しましたと仰る患者さんの場合は初診料が無料に、ということにはなりませんけれど、地域医療に貢献する「寺崎クリニック」 の寺崎豊博先生をどうぞよろしくお願い申し上げます!