プラモデルできるかな -2ページ目

プラモデルできるかな

初心者がミニプラモデル制作に挑戦してました

思えば父が夏に倒れてから、散髪に行かなくなったりタバコを買うため近所のお店に行く際もいつも同じ服を着ていたり、前に書いたような思い込みをしたりと、それっぽい兆候は見られていました。5分10分前のことも忘れるようになっているので結構進行していると思います。ピック病はさらに人格が変わったように攻撃的になり、ときには暴力を振るうこともあるみたいですが、いまのところそうなっていないので助かっています。もしかしたらこっちが先に手を出しそうです。

この件は母方妹さんに報告し、今後対応に協力してほしいことをお願いしました。また兄と連絡や相談をとるようにし、自分だけで抱え込まないようにもしました。先生から「自動車の運転はさせないように」と言われたので、車が動かないよう細工(バッテリーのコードを外した)し、父の主だった友人に状況を説明して外出で父を誘う際は運転をさせないようお願いしました。

そんなわけでクスリ(レミニール)を処方されたのですが、最初の一ヶ月は体をクスリに慣らせる意味もあり、最小用量から始まりました。多少は効くかも、と期待していたのですが母方妹さんとの再婚話や私に家族がいる話がは止まることなく、通院前と変わらぬ状況がひと月続きました。
認知症というのは脳の病気によって「いったん正常に発達した知能が低下した状態」を指すそうで、認知症という病気があるわけではないようです(wiki:認知症)。脳の病気というのは、脳の萎縮であったり脳内血管の異常だったり脳になんらかの物質が集積して脳の活動を妨害したりと様々あります。このへんwikiを読んだだけですが、とりあえず認知症は脳の病気が原因だという認識でよいようです。

前回アップしたような父の言動を目の当たりにして、私は「父が狂ってしまった」と少なからず思ったのですが、ネットに散らばる情報を見たところ「脳の病気が父にそういう言動をさせている」と解釈でき、多少は気が楽になりました(それでもガマンならないときはありますが)。

神経内科で撮ったCTスキャンを先生に見せられ、父の脳の前頭葉と側頭葉にそれなりの萎縮がある旨説明を受けました。脳の萎縮箇所に応じて病名があるようで、父の場合は「ピック病」と思われるとのことです。

ピック病は認知症を引き起こす疾患のひとつで、行動に関する記憶は比較的保たれたまま(着替えや食事などは自分でできる)、攻撃的になったり妄想を信じ込んだり傍若無人な振る舞いをしたり身だしなみに無頓着になったりするみたいです。
関東から戻った私は父に「関東に自分の家族はいない」、「こっち(地元)に連れてくるような人もいない」ことを説明しました。説明したときは納得してくれますが、「じゃあなんで関東に行ったのか」と聞いてきて、友人と会うためだと答えると「家族が関東にいるんじゃないのか」と続き、結局同じ問答を延々繰り返す有り様です。
「オレ(父)はお前(私○○のこと)から聞いた」と主張してきて、言った言わないの言い合いになったりします。たまに「言ったけど冗談だよ」と応えると「お前はそんな冗談を言うようなヤツじゃない」と、自分の思い違いであることを認めようとしません。

以後、母方妹さんと再婚する件、私に家族がいる件をことあるごとに言ってきて、私もストレスが溜まり大声でその件を否定したりと状況が悪くなっていきました。

さすがにこのままでは自分の心身がやばくなりそうなので、兄に経緯の報告と相談をし、父を連れて3人で神経内科を受診。これまでの問題行動と問診、CTスキャンの結果「認知症でしょう」と言われました。
そんな夏のある日、テレビを見ながら父がブツブツと独り言をしている様子を目にしました。テレビに対する独り言だろうと思ったのですが、聞き慣れた名前が出てきたので内容を尋ねてみると、母方妹さんと再婚するという答えが返ってきました。
母方妹さんは自分たちと同じ町内に住んでいて、母が生きてたころとても熱心に面倒をみてくれた人です。自分もよく知っていて親戚付き合いも長い人物なだけに父の返答がにわかに信じがたく、夜になって母方妹さんに電話で確認をすることに。結果そのような予定はなくそのような間柄でもなく、父の思い込みだということでした。なぜ父がそのように考えたのかはわかりませんが、私は父にそのようなことはないと言い聞かせてその日は終わりました。

しかし翌日になると父は同じことを私に報告してきます。それは毎日のように続きました。それは食事中だったり、深夜就寝中だったりと時と場所を選びません。そのたびに父の思い違いであることを説明し、ときには母方妹さんに電話をして本人から「その気はない」と言ってもらって納得させるのですが、時間をおいたり翌日になったりするとまた同じようなことを言い出します。
思えばこのとき専門医に診てもらうべきだったのですが、私は「身内だけでなんとか収まっているから」と考え診察させませんでした。父もこちらが説明すれば(そのときは)納得して引き下がったので、言ってくるたびに説明すればいいと考えていました。

過ぎて10月、私は関東にいる友人と会うため泊まりがけで出かけます。これまでも何度か泊まりがけの外出はしていたので、今回も問題ないだろうと思い父に予定を告げて出発しました。関東に出かけて一泊して翌日の昼ごろ、母方妹さんから携帯に電話。「いまお義兄さん(父)が来ているけど、○○君結婚してるの?」と問い合わせがありました。私が独身なのは母方妹さんも知ってるはずなのですが、母方妹さんによると「○○は結婚していて関東に家族がいる」、「いま○○は関東に行って家族をこっちに連れてくる相談をしている」と父が言っているそうなのです。
これを聞いたとき、私は自分の行動の遅さを痛感しました。
地元のかかりつけ医に父が「認知症でしょう」と言われて数ヶ月経ちます。自分のなかで情報を整理するうえでも書き残しておきたいと思います。

父の様子が変わったのは2013年の夏ごろからでした。それ以前も忘れぽっくなっていたのですが、日常生活は自立していましたし(着替えや食事、トイレは自分でできる、自動車も運転する)、問題行動もなかったので安心しきっていました。

2013年の夏、父はいつものように自動車を運転しひとりで買い物に出かけました。帰る際、自分の車をどこに駐車していたか忘れてしまったようで、炎天下のなか駐車場をウロウロ。そのうち脱水症状を起こして昏倒。偶然通りかかった人が救急車を呼んでくれて、救急病院に搬送されました。搬送先の病院でCTスキャンで頭部も見たのですが、年相応の萎縮はあるものの大きな萎縮ではなく、内出血もないので大丈夫でしょうと医師は判断されていました。
自分が病院に到着して父と話をしてみると「母の見舞いのため病院にいる(母は数年前に他界しています)」、「(倒れたときに負った傷を見て)なぜケガをしているのかわからない」と記憶が混乱しているらしく、自分が倒れたこともわかっていないようでした。その後の医師の説明で自分が外で倒れたこと、その理由が酷暑のせいだということを理解したみたいです。

以後父は夏場の外出を控えるようになり、自宅で過ごしてばかりいました。それまでは友人宅に囲碁をうちに行ったり友人と連れ立って喫茶店に出かけたりしていたのですが、そういったお誘いがあっても「一度外で倒れてしまって、医者から暑い時季は外に出ないように言われたので」と断ってしまっていました。また倒れるかも、という不安が外出する気をなくさせていたようです。
その夏父はテレビ番組をボーッと見てばかりでしたが、それでも生活には支障はありませんでしたし、夏場の外出でまた倒れられても困るので自分は気にしていませんでした。これらの件は実家から離れて暮らしている兄にも報告しましたが、問題行動もなかったので兄弟ふたりしてあまり心配していませんでした。