筋トレと手術 | 筋肉ドクターの気まぐれ日記

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手術って世間のイメージでは、最新の医学を駆使した崇高なものと思ってそうだ。

他方、筋トレっていうと、脳筋の筋肉バカがやる下品なものと思われている気がする。


しかし、両方に関わってきた私にとってこのイメージは真逆だ。


手術って結局癌や化膿病巣とか、体に悪さするものが体内にあった時に外から切り取っちゃえってやるわけで、そもそもその悪さするものが何故体内にできたのかは無視して、只々何故かできた悪いものは取っちゃえっていう、短絡的で暴力的なものと思っている。

整形外科の再建術にしても、結局思想は同じで、動きの悪いところや痛いところは切り取って、良いところを使うようにするか、人工のおもちゃに置き換えるかってこと。

いかにそれを工学的に凄い道具を使ったところで、崇高さは感じない。

肉体を傷つけ、血が吹き出し、終わった後には醜い瘢痕が残る。

何か下品なんですよね。


他方、筋トレって、弱り行く体をいかに刺激して、どう動力である筋肉を作り上げるかと、頭脳と肉体を駆使する崇高な行いに感じている。

生理的に機能を上げる適応を促すにはどうするのが相応しいか。

そこに、只々暴れまわる頭脳を使わない野獣にはできない、計算され尽くした様々な道具を使って最大の強度の運動を肉体に与えるという、心身を統一した禅や瞑想にも似た総てを集中した境地に達する行いが必要になる。


でも、逆のイメージを持つ皆さんは、体が衰え動けなくなりあちこち痛くなったところで、筋トレみたいな野蛮なことはできないわと、神の手を探し、崇高な最新の手術に自分の今後の運命をかけてみるみたいな人が多いわけです。

そんなんで機能が上がるわけもなく、結果無駄に重傷を肉体に負わせただけで、弱るのを加速しているだけということにも気付かず、あっちもこっちも切ったけどこんな動けない体になってしまった、できることはやり尽くしたけどダメだったと、崇高な筋トレをしなかった愚かさに気付いていない。


筋トレと手術のイメージの履き違いで、見当違いのものに今後の人生をかけて動けなくなるって、馬鹿げていると思いますけどね。