自分という大自然 | 筋肉ドクターの気まぐれ日記

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Killing Timeに日記を書き候

 

 

よく、自分がいて、人間社会があって、その外に自然があるように感じている人がいる気がするが、筋トレしていて感じることだが、自分の中に自然を感じるということだ。

自分という絶対の存在があるように感じている人が多い気がするが、結局人間という自分も自然の一部分であり、自分も自然だということだ。

筋トレというのは自分をコントロールする技術だが、しかし、自分ですら完全にコントロールすることが困難なんですね。

 

自然を征服するという欧米的な考え方で、人間というものをコントロールしようというのが現代医療の思想だ。

しかし、人間は自然なので、もののコントロール程度で上手くいく代物ではない。

最大限ものをコントロールしようとして、ドーピングして美容手術してと頑張ったところで、健康を害するというしっぺ返しを自然から受けることになる。

 

やはり、自然との調和、自分との調和を考え、その中で自分が進化発展するにはどうすれば良いのか。

これこそが筋トレの正しいコントロールだと思う。

 

なので、自分の中に因果律もあれば、偶然もあり、天命もある。

人間に選択できるのは因果律だけだ。

自分の体を自由に選択できるのは因果律が通用する部分だけだ。

薬でも手術でもうまくコントロールできない体を運動でコントロールするのが筋トレ。

 

もともと体型に恵まれている人もいれば、偶然筋肉が付きやすい人もいる。

そういった部分ではない運動のやり方という部分で体を変えていくのが筋トレだ。

 

筋トレとは、自分という大自然とどう付き合うかという側面もある。