教育改革 | 筋肉ドクターの気まぐれ日記

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教育改革と言うと、創造力をとか言いますが、創造力や独創性を持たない人がそういうのを持つ人を作れるわけがありませんし、そういうのって作るのではなく、なるもんだと思うんですよね。

 

今の主要5教科みたいな、読み書き計算の簡単なものしか大人になると使わないのに、しかも大人になったら完全に忘れているような知識を詰め込む教育は本当に無駄だと思う。

もう少し、大人になってからも使える実学をやるべきとは思う。

ただ、人間試練を乗り越える経験と言うのは重要なので、まあ、それくらいの意味しかない現在の教育ですよね。

 

で、どうやったら創造力を伸ばせるか。

私が思うにこれって、邪魔しないことだと思うんですよね。

要するに創造力や独創性の無い大人が、知識の詰め込みを子供にするのが邪魔なんですよね。

いろいろな選択肢から夢中になることを見つけさせるのが重要であって、それ以上は邪魔しないのが大事だと思うんです。

 

要するに、同じ研究者でも、誰かにやれって言われてやっている、お金のためにやっている、やらないと殺されるからやっている、教授と言う名前が欲しくてやっている、何か賞をもらいたくてやっている、ただただ好きで夢中でやっているという人がいた場合に、誰が一番優秀な研究者になるかと言うと、最後の人だと思うんですよね。

たまたま大発見のようなことを他の人がするかもしれませんが、その後も追求できるのは最後の人だけだと思うんです。

要するに、無償の遊戯性、オタクなんです。

 

オタクを許容する教育環境、オタクにオタクさせることをあいつは変だ病気だと止めさせて普通の勉強させるようなことの無い教育環境を作るのが一番重要だと思うんですよね。

 

お金のため名誉のためにやる勉強なんて実学でもないし、そんなの儲け話に繋がっているくらいで、碌なこと無いと思うんですよね。

そういうオタクを許容する教育が、学校でも家庭でも大事だと思うし、それを認める親と教師がいないと潰されると思うんですよね。

 

考える問題出して創造力をつける教育とか、オタクにしたら邪魔でしかないと思うんですけどね。

邪魔しないのが重要かと。

 

偉い先生が教育はこうすべきだと言うのをよく聞くと、結局こういうこと言っている気がするのですが、偉い先生はオタクを作れとはなかなか表現し辛いようで、代弁してみました。