無縁から慰霊へ ―荒川流域を起点とする死者供養と記憶の歴史―
(論文要旨)
本稿は、板橋区仲町の専称院に残る水難供養塔を出発点として、洪水・地震・火災・戦災に
よって生じた大量死者が、 日本社会においてどのように処理され、 供養され、 記憶されてき
たかを検討したものである。 従来の災害史研究や河川史研究では、 災害の発生過程や被害規
模、治水事業に重点が置かれてきたが、本稿は「大量死者の、その後」に着目した。
まず、荒川流域および関連地域における古代から近現代までの災害事例を整理し、洪水、関
東大震災、東京大空襲において、遺体の流失、身元不明化、仮埋葬などが発生し、 「通常の
家族葬送」が困難となる状況を確認した。特に洪水では「遺体の消失」 、震災では「身元確
認不能」「空襲では処理能力の限界」という異なる形で、死者の個人性が失われることを指
摘した。
続いて、 河原に集積した遺骨の処理、中世における宗教者の活動、明暦の大火を契機として
成立した両国回向院、荒川沿岸の専称院、水難供養塔、供養碑などを検討し、 大量死者が寺
院、宗教者、地域社会、行政によって収容され、葬送の秩序へ組み込まれていく過程を分析
した。その結果、「無縁」とされた死者は放置されたのではなく、回向、施餓鬼、供養塔、
慰霊碑などを通じて新たな供養関係のなかへ位置付けられていたことが明らかとなった。
さらに本稿では、塚、供養塔、慰霊堂などが死者に「場所」を与え、「無縁」「万霊」「水難
者」「震災遭難者」などの名称が、死者に「呼称」を与え、法要や慰霊祭の反復が、死者に
「時間」 を与えることに注目した。 大量死者供養は、 個人として弔うことのできなくなった
死者に対し、集合的な名称、象徴的な場所、反復的な儀礼を与えることによって、 「社会の
記憶のなかに位置付け続ける営み」であったと考えられる。
本稿は、 荒川流域を起点としながら、 日本社会における大量死者供養の歴史的展開を検討し、
「無縁から慰霊へ」という過程を通じて、 死者と生者を結び続ける社会的実践の構造を明ら
かにした。