考えるということ | 色塾BLOG-

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日々のビジネス・社会に対する思いや、起業に向けた考え、読書に対する感想など様々な話題を、海外で働くマーケターとしての第3者の視点から展開。

学生のころから「考える」ことが大事だといっていた自分だけれど、


実は自分はあまり仕事において考えていないことに気づかされたのは最近だ。




それが如実に現れたのはほんの最近のこと。




友人が、美容関係の起業をするということで、実際に、消費者リサーチから考え、ポジショニング、競合分析から、店のコンセプトを考え、Webサイトのブリーフや広告まで1から100まで自分で作った。




またできたらアップしようと思うが、自分なりになかなかよくできた広告だと思う。




しかし、振り返ってみると、その行程は趣味でしかないのに、


ビジネスプランを考えることに費やした熱量は、普段の仕事の10倍くらいな気がする。


(時間はせいぜい週末2日くらい)




そこに掛けた「考える」ということの質は、仕事で出す考える質とは全く違うものであり、それは違うだけでなく、非常に高いクオリティの考える時間だったと思う。いろんなWEBを比較し、ベンチマークし、全ての方向性から考えつくし・・・・めちゃめちゃ楽しかった。クリエイティブな活動もすごく楽しく、自分で広告デザインを何十個も作って、これじゃないあれじゃないと考えるのがすごく楽しかった。




学生のとき、ビジネスコンテストに出て、いろいろ考えるのがスキだったときを思い出す。


もちろん今のほうがフレームワークのおかげでそのアウトプットの質はあがったものになっているが、なぜ仕事でああいうクオリティのある楽しい「考える時間」がなかなか過ごせないのかと悩むことになった。




その違いを分解したら、まあこんな感じだろう。




①自分に最終決断権がなく、結局は、上のものが気に入りそうなものを考えることになっている。


 だから、「所詮」真剣に考えても別に・・・・という思いがどこかにあるかもしれない。




②細かな役割分担:うちには広告のプロもいれば、消費者のプロもいれば、営業も、ファイナンスもいる。だから、それぞれにその分野の視点から物を考える。自分はまだ「所詮」調整をしてればいいという枠をぬけきれていないのではないだろうか?僕はそれぞれの分野での知識があるはずなのだから、全てに責任をもって、自分の意見をガツガツあてていかなければならない。多様性の尊重とか、エクスパタイズ(専門分野)いう言葉に甘えて、自分が全体を必死で考えなくなる態度になっていないだろうか?




③「結果・仕事」に対する思い入れ:やっぱり「所詮」ABMであり、自分のブランドであるという意識が低いのだと感じた。そのビジネスが完全に100%自分のせいになると思ったとき、発揮する力はぜんぜん違う。




ここまで書いてみて、


「所詮」という考え方は本当にモチベーションを低くする魔法の言葉だなと思う。


簡単に言えば、言い訳をしているに過ぎない。






ということで、お盆休みを返上して、この3日間、必死でいろいろ考えてみた。


でも、結果、頭がフラフラになり、吐き気がしてきて、耐えられなくなって、帰路につくことになった。




こんな吐き気が出るほど「考える」体験は初めてだった。


でも、こうやって、必死で考えていかなければ結果はでてこないというのも本当に真実であると思う。




もっともっと、「考えなさい」と自分に鞭をうってみる。