最近、マーケティングとは商品を売る仕事でも、Benefitを売る仕事でもなく、
商品に人格を与え、その人を人気にさせる仕事だというような思いがある。
もちろん、その人格は、その商品の性質、便益に起因するのだが、
所詮、人は商品を「なんとなくスキ・なんとなくキライ」という基準で購入しているのだなあと思うのだ。
もちろん調査にかければ、香りがいいから・髪にいいから・ツヤとかいう訳だが、
正直にいえば、大した違いなどないのだ。
その微妙なギャップの中で商品を差別化する要因は、やはり「なんとなく」にあって、
その商品が醸し出している雰囲気というか、オーラというか、そういうものが同じ人種を惹きつけてしまうのだ。
それは、ポジショニングマップで語られるような論理的な便益差別化の世界ではなくて、もっと曖昧な雰囲気から形作られるもの。
ただ、それぞれの「なんとなく」が結局のところ便益に起因するから便益のポジショニングマップによって表現可能というだけであって、消費者はブランディングがきっちりなされているものに関しては、決して便益を買っているわけではない。それを感情便益という言葉でカバーしようとする動きもあるが、べつにそんなものでもないかもしれない。
その便益がもつ「なんとなくの雰囲気」をつくるのがマーケティングであるなあと思うという感想を述べてみただけなのだが、結構これがおもしろかったりもする。なぜなら、その「なんとなくの雰囲気」というのは、人の価値観の集合を表現する可能性が極めて高いのであり、それは価値観を創造することと少し関係があるかもしれないからだ。
人は同じ価値観と雰囲気の人と集合するように、同じ雰囲気を持つ商品に集まる。
その集団の構成の組み合わせを、何らかの商品を「ブランディング」することによってかえられるのだとしたら、
それはすなわち集団の価値観に対してなんらかの影響力を持ったということになる。
洗剤を売ろうが、シャンプーを売ろうが、スナックを売ろうが、ペットフードを売ろうが、
やはりきっちりブランディングできているものには、それなりのフィロソフィーがそこに存在し、
その哲学に人を惹きつけていくことができるかという意味で勝負をするというのはなかなかおもしろいなあと
最近思うのだ。