※ネタバレがあります。
※ここに書いている原発事故関係の記述が万が一間違っていたら申し訳ありません。

2023年8月14日、NHKスペシャルの枠で『アナウンサーたちの戦争』という90分ドラマをやっていた。太平洋戦争のとき、NHKがいかに軍部に協力し戦争を推し進め、国民を扇動していたかという内容だった

冒頭で「これは事実を基にしたドラマです」と出ていたが、「事実を基にしたフィクション」とは書かれていなかった事、Nスペ枠であることから考えて(ほぼ)脚色なしで史実をドラマ化したと見なしている。

もちろん、和田信賢(森田剛)、舘野守男(高良健吾)らアナウンサーたちも実在人物である。

私は、NHKが自局の戦争責任に言及する日が来るとは思ってもみなかった。そういうわけでこのドラマを楽しみにしていたが、普段ドラマも映画も観ない私が90分間見入ってしまうほど面白かった。
(感想はこちら 



ただ、これでNHKが自らの戦争責任を認め、軍部に都合のいい嘘の情報を垂れ流した過去を反省したと見るわけにはいかない。

「アナウンサーたちの戦争」はあくまでもNHKスペシャルの企画のひとつに過ぎない。一般の局員が企画して制作した番組に過ぎない。会長が記者会見でNHKの戦争責任を認め謝罪しない限り、NHKが当時を反省したとは見なせない。

私は元NHKアナウンサーの堀潤氏が書いた『僕がメディアで伝えたいこと』という新書を読んだことがある。

『おわりに』という章に書いてあった。
堀氏は大学でナチスのプロパガンダを研究したが、太平洋戦争後に日本のメディアがどうしたか書いてあった。

戦時中は新聞も大本営発表を垂れ流したが、朝日、毎日、読売は社説でそのことを謝罪し、民主主義国家を作る未来への決意表明をしていた。

しかし当時は国内唯一の放送局であったNHKはそのような謝罪も決意表明もしていない。
「旧逓信省の管轄下にいたので致し方ない」という弁明をしたに過ぎなかった。

私は事前にそういう知識を持ってたため、このドラマに興味を持った。もちろん予約録画もした。

これでNHKが戦争責任を認めたとは思ってないけど、まさかNHKがドラマ化するとは。
これの放送が実現するまでに難航したと思います。放送してくれた事に感謝します。

しかし。
しかし、忘れてはならないことがある。

NHKは2011年の福島の原発事故のとき、正確な情報を国民に伝えなかった。

私は2011年3月12日、原発事故の日、体調不良だった。
首都圏の家の近くの病院に行ってるか家で寝ていた。
よってテレビはほとんど観てなかった。
しかし、母はNHKの災害報道を見ていた。

母から聞いた話を全部書く。
今後、NHKが「人命に関わることで正確な情報を伝えない」という過ちを繰り返さないためだ。

今年のある日、母一緒にNHKのあるテレビを見ていた。
するとある解説委員が出てきた(名前は忘れた)

その人を見て母は言った。

「あの解説委員、福島原発事故のとき毎回出てきてたけど『メルトダウンしている』なんて絶対に言わなかった。『可能性もある』みたいな曖昧な言い方しかしなかった。本当はメルトダウンしてたのに」

「本当はメルトダウンしてた」それは後年NHKでやってた再現ドラマで知った。大杉漣が主演で、東電の福島原発の所長の吉田氏を演じていた。確かNHKスペシャルの枠だった。

でも当時はNHK含むメディアでそんな事は全く報道していなかった。当時精神的に参っていてあまりテレビを見ないようにしていたがそれぐらいは知ってる。

NHKは「メルトダウン」という言葉を一切使わず「炉心融解」と言い換えていたのも覚えている(どっちも同じ意味だが)。

母によれば当時の、震災と原発事故直後の災害報道では「炉の中が600℃になってる」と発言した学者もいたが、その人は二度と呼ばれなくなったらしい。

例の解説委員は私には見覚えがない。さっきも書いたけど当時ほとんどテレビを見てこなかったから。

しかし母に言わせれば「政府の御用解説委員」である。「あの人が解説すると何でも疑わしくなる」とも。

12年前でも覚えている人は覚えている。

これは母の思い込みではない。
前述の堀潤氏の本にも書いてある。

メルトダウンを「炉心融解」と言い換えていたことも書いてある。
堀氏によると、その理由は「社会不安を煽るから」である。

文科省が「炉心融解」という用語を使っていたのだが、
「文科省は用語をコントロールすることで、市民のパニックを抑えようとしていたのだろう」
「みなひたすら気象庁や総理大臣官邸から出される一次情報をベースに放送を組み立て、「ただちに影響は出ません」という言葉ばかりを流していた」
堀潤氏の本には以上のように書いてある。

戦時中のNHKも軍の支配下に置かれ、軍の作った原稿を読まされるだけの組織、報道機関ではなく軍の広報機関、プロパガンダ機関に成り下がった。

また、堀氏個人は2010年3月までは『ニュースウォッチ9』でリポーターを務め「現場取材をするアナウンサー」である事を求められたが、2010年4月から経済ニュース番組『Bizスポ』に異動したら「原稿を読むだけのアナウンサー」である事を求められるようになった。

震災、特に原発問題においてはますますそれを求められたという。

ドラマの和田信賢(アナウンサー)も学徒に取材した本音を放送では言えなかった。
原稿を勇ましく読み、国民を煽る役目を求められた。

戦前の新人研修では、「虫眼鏡で見て望遠鏡で話す」という言葉で、新人アナウンサー達に事前取材の大切さを説いていたにも関わらず。

今改めて堀氏の本を読むと、当時の堀氏と戦時中の和田信賢の姿が重なって見える。

後年、大杉漣主演の原発事故の再現ドラマを観て、東日本の壊滅もあり得たかもしれなかったと知った。

前述の通り当時はテレビをほとんど観てなかったが「東日本壊滅の可能性がある」だなんて新聞もラジオも、もちろん政府も言ってなかった。
少なくとも私は聞いたことがなかった。

2011年3月12日以降のNHKは「国民の不安を煽らないこと」よりも「東日本にいる国民の命を守ること」を重視するべきだったのではないか?

つまり「東日本壊滅の可能性がある」と正直に伝え、西日本への避難を勧めるべきだったのではないか?
西日本の国民に東日本の国民を迎えるように呼びかけるべきだったのではないか?

堀氏の本によると、原発事故直後にNHK科学文化部のある記者がニュース解説内で、内部被曝について呼びかけた。
外に出る時は長袖やマスクを着用する、屋外のものを食べない、換気扇を閉じて屋内退避して内部被曝を防ごうという内容だった。

「NHKをはじめとする震災関連番組には「大丈夫です」、と繰り返す御用学者ばかり出演する中、その記者はクビを覚悟でそう呼びかけたのだという。こんな重要な発言を「清水の舞台から飛び降りる」覚悟でしか言えないNHKの閉鎖的な言論空間に、僕は甚だ疑問を感じた」
と堀氏は本に書いている。

これが本当なら、NHKは戦時中から悪い意味で変わってないんじゃないかと疑問だ。

もう一度、母から聞いた話を書く。

母によれば当時の、震災と原発事故直後の災害報道では「炉の中が600℃になってる」と発言した学者もいたが、その人は二度と呼ばれなくなったらしい。

「メルトダウンしている」とは絶対に言わなかった解説委員のことを「政府の御用解説委員」と今も見なして信用していない。

12年経っても覚えている。
そういう視聴者もちゃんといる。

『アナウンサーたちの戦争』では終戦後、和田は近所の幼い少年にじっと見つめられ
「大本営発表」
と一言、言われた。

「時代が変わっても僕は過去の事を水に流さない」という意志表示だと受け取った。
視聴者として正しい態度だと思う。

ここからは余談。
2011年3月12日や13日の時点でもし「東日本壊滅の可能性」を知っていたらどうしたか?
正直迷う。
母に「西日本に避難しようとしてた?」と聞いたら「うーん」と考え込んでしまった。

実際、2011年3月12日か13日の時点で私は親に「西日本に逃げた方がいいんじゃないか?」と言ったことがあるが父から「そんな必要はない」と一蹴されてしまった。

父も東日本壊滅の可能性なんて知らなかったから責めることはできない。

私に西日本に親戚や友達はいない。
当時の私は無職だったのでお金のことを考えたら、一人で避難なんてできない。
親を置いて一人で避難するのも問題だ。

私達はあの時どうするのが正しかったのか?

仮に東日本壊滅していたら、西日本への避難を呼びかけなかったNHKや民放の責任は重い。

新聞や雑誌と違ってテレビとラジオは即時に情報を伝えられるし、社会的な信用もあるのだから。