普段は日常や旅行記を中心に載せていますが、本日はパリ旅行の写真とともにナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌについて書きたいと思います
映画「ナポレオン」
日本でも公開になりましたね。
以前フランス史(第一帝政時代)のことを少し書いたのですが
ナポレオンについて調べてゆくと、彼の関連人物の生涯についても興味深いことがわかります。
その中でもとりわけ
彼の最初の妻、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
マルメゾン城にて撮影。
彼女の人生は波乱に満ち、美しくかつエレガンス。
また、晩年はバラ交配に信念を注ぎ欧州の「薔薇の女王」として後世にも広く知られる女性です。
マルメゾン城にて撮影。
彼女がバラや動植物を愛でた"マルメゾン城"がパリ郊外にあると知り、訪れたのが今年の秋。
マルメゾン城にて撮影。
当時の城館の周辺を知ることができる展示です。
後日その旅行記を書きたいと思っていますが
まずはその前に、マルメゾン城とルーヴル美術館にて撮影した写真とともに、彼女のドラマティックな人生をご紹介したいと思います。
一部写真をお借りしています
1763年。
フランス領西インド諸島のマルティニーク島
貧しい貴族の家にジョゼフィーヌは生まれました。
16歳でアレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と結婚したのを契機にパリへ移り、長男(ウジェーヌ)長女(オルタンス=のちナポレオン3世の母)をもうけますが、次々と不義を繰り返す夫との結婚生活は幸せなものではありませんでした。
獄中のアレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と家族の肖像
ルクセンブルク刑務所に収監され、実際は家族との面会は叶いませんでした。マルメゾン城にて撮影。
時代はフランス革命へ。
1794年。元夫は政治的成功を収め国民議会議長となっていましたが、ロベスピエールの恐怖政治の渦中に引き込まれ処刑されてしまいます。
温厚なイケメン弁護士として女性からも人気のあった青年が、なぜジャコバン派の独裁者へ!?
この時31歳であったジョゼフィーヌも彼の助命嘆願に動いた事で投獄され、牢で処刑を待つ身に。
ところが「あと数日」という所で政変が起こり、ロベスピエールが失脚(処刑された)ことでギロチン刑を免れることができました。
1794年 テルミドール9日のクーデター
ジョゼフィーヌは獄中でも恋仲になった男性がいたそうです。
なんとたくましい。
獄中から解き放たれた時には無一文で地位もありませんでしたが、その美貌により多くの政界の重鎮と浮名を流す日々。
美しくおしとやかな彼女は大変社交的な女性であったことから、常に周りには人が絶えず"社交界の華"として話題の中心にいました。
そこでは獄中で友情を築いたテレーズ・カバリュス(タリアン夫人)とレカミエ夫人の、美貌で知られる両名とともに「陽気な未亡人」と呼ばれ
バラスの前で裸踊りする
ジョゼフィーヌとタリアン夫人の風刺画
このタリアン夫人がなかなか強烈。獄中からロベスピエールの側近であった夫にクーデーターをけしかけて、それが功を奏してロベスピエールがギロチン刑になったとされています。美しいって怖い。
時の権力者 ポール・バラスの愛人として贅沢三昧の日々を過ごします。
また美しい彼女たちはヨーロッパ中のファッションリーダーでもありました。
堅苦しいコルセットや巨大なパニエを捨て去り、女性らしい体のラインを惹き立てるドレス、柔らかなショールを一躍流行させ、パリの貴族の女性たちを魅了し続けました。
マリーアントワネットの時代はヘアスタイルも盛り盛り、ドレスもこんもりがトレンドでした。ヴェルサイユ宮殿にて撮影。
そして、バラスの部下であったナポレオン・ボナパルトとジョゼフィーヌが出会ったのは丁度この頃。
彼は26歳、彼女は32歳の時でした。
ナポレオンは、年上の彼女に猛アタックします。
ナポレオンの母や兄妹たちは、年上でさらに身持ちの悪い彼女との結婚に大反対。結婚後も完膚なきまでに彼女を嫌い、あの手この手で離婚させようと画策するのでした。
一目惚れであったナポレオンとは対照的に、恋多きジョゼフィーヌは貧相で真面目な彼に興味を抱くことはありませんでした。
ルーヴル美術館にて撮影。
とはいえ自身も32歳。未亡人でありながら二人の子供も養っていく必要があります。
当時は子持ちの女性が男性の金銭的支援なしに自立するのは難しかったという背景もあり、ジョゼフィーヌは結婚を受諾します。
バラスは浪費家で当時としては年増であった彼女を「厄介払いできる」とばかりに、結婚を大いに応援したのだとか。
ナポレオンと結婚してからも、彼女の浪費家ぶりや浮気癖は止むことがありませんでした。
気前よく買い物をするジョゼフィーヌは、パリの商人からも高い人気があったが、反対に2番目の妻のマリー・ルイーズはハプスブルク家出身の倹約家であったため、商人たちからは人気がありませんでした。
質素堅実なナポレオンとは対照的に、靴やドレス、ティアラに宝石など、その何れをも何百と所有するような豪華絢爛な日々を過ごしました。
2021年オークション出品されたジョゼフィーヌのティアラ。
浪費家としてはマリー・アントワネットが有名ですが、ジョゼフィーヌのファッションへの浪費も相当なものでした。
そんな彼女と結婚してからのナポレオンは、出世の階段を猛スピードで駆け上ってゆきました。
ジョゼフィーヌを深く愛していたポレオンは、戦地から手紙を何通も寄越し、彼女に自分のもとを訪れるように促し続けたものの
彼女は返事を寄越さず社交界の友人たちに
「ナポレオンって変なひとね」と夫の手紙を見せびらかし、笑いをとる日々でした。
一日たりともあなたを愛さずには過ごせず一夜たりともあなたを腕に抱かずには過ごせず、一杯の紅茶を飲んでも、栄光と野望を呪わずにはいられない。
軍隊の先頭に立とうが、陣営を視察しようが、私の活動の最中でも、愛しいジョゼフィーヌは私の心の中にただ一人佇み、私の心を占め、私の思考を満たしている。
私がローヌ川の流れのような速さであなたのもとを去るのは、より早くあなたに再会するためです。
夜中に起きて仕事をするとすれば、それは私の愛しい恋人の到着を何日か早めるためである。
生涯60,000通も手紙を書いたと言われるナポレオン。
ジョゼフィーヌへの手紙・・・ちょっと重すぎる(笑)
あなたが "私はあなたを愛していない "と言う日は、私の愛の終わりか、私の人生の最後の日になるでしょう。
もし私の心が、見返りに愛されることなく愛するに足るほど卑しいものであったなら......私はそれを歯で粉々に引き裂くだろう。ジョセフィーヌジョセフィーヌ私が君に言ったことを思い出してくれ。
自然は私を強くした。レースとゴッサマーであなたを作った。もう私を愛していないのですか?許しておくれわが生涯の愛よ。
私の心は相反する力にさいなまれている。あなたに執着し、私の心は私を不幸にする恐怖でいっぱいです。私はあなたの名前を呼ばないことに心を痛めています。あなたが書いてくれるのを待つことにしよう。
さようなら!ああ!もしあなたが私をあまり愛していないのなら、あなたは決して私を愛していなかったことになる。その場合、私は本当に哀れである。
返事が返ってこないのはお構いなしに大量に手紙を送ります。
「軍の士気が下がっては」と、見かねたフランス政府が渋る彼女に戦地に行くよう促し実現さたものの、それは23歳の若い愛人付きでの参上でした。
そして遂に、エジプト遠征中にはその浮気がナポレオンの知るところに。
ルーヴル美術館にて撮影。
ナポレオン軍が戦地から持ち帰った戦利品の宝庫です。
激怒したナポレオンは、離婚についての相談の手紙を兄宛に送りましたが、それが英国軍に拿捕され、新聞で報じられるというアクシデントも。
ネルソン提督。
イギリス軍人史上最高の人と称えられる彼は、生涯にわたりナポレオンと戦い続けました。
激怒したナポレオンが離婚を切り出す騒動となりましたが、ジョゼフィーヌの息子と娘の嘆願もあり夫の決意を思いとどめることができました。
この件をきっかけに、自由奔放であったジョゼフィーヌは夫を深く愛し尽くすようになるのですが、反対にナポレオンは何人もの愛人を作るように。
マルメゾン城にて撮影。
愛情のパワーバランスが逆転するのです。
to be continued