「尊重がわからない」
「自分も人も尊重できない。」
「自分は尊重できるけど他者は尊重できない」
↑ワガママを通すことと勘違いで、おそらく自分も尊重できてはないでしょう。
「他者は尊重できるけど自分は尊重できない」
↑そんな事ある訳ないので両方できてないでしょう。
40歳を超えていて、
「尊重がわからない人がいるのはどういう事だろう?」と、「所属欲求が自分の中にある事を認識してる友人」と話してて出てきたのは、
自分が尊重された経験がないから。
ワカラナイ。
幼少期の家庭
その後の学校生活
自分が決めてチャレンジする世界で。
マズローの欲求段階図では、
本能的欲求と安全欲求
所属と愛情欲求(社会的欲求)が満たされてないゆえ、尊重欲求までいかない。
所属と愛情欲求が満たされてないのは、基本的には生まれた家庭で、自分が欲しかった愛情を家族に与えて貰えてなかったから。その後の人生で、所属欲求と愛情欲求が満たされてない状態。
この状態では
進んだ!と思っても
満たされてない所まで引き戻される。
ジオの惑星未回収では
ヘリオへ行かれないのと同様。
幼少期は月に該当する。
気づいた時から自分と向き合って
「ああ、自分はこの時愛情が欲しかったのか」と。自分が認識していくしかない。
満たされなかった時、感情が大きく動いた時、
傷ついた時、感情を閉じ込めた時には、
「何が起こっていたのか?」
自分が認識していく。
親や家族を非難したりジャッジする訳ではない。
と言っても、今まで向き合う事から逃げ続けたり、認識やTRYする事を避け続けていた人には、生やさしいものではない事もあるので、途中で向き合えなくなる人もいる。
混乱の中、どんな状態になろうが
一気に乗り越えていく人もいる。
休みを入れながら
乗り越えて行こうとする人もいる。
意志とタイミングと環境の差異もあれば、
身体が使える人と、使えてない人の差異もある。
愛情と所属感を、家庭で十分に与えてもらってない状態で学校生活が開始した場合、「自分はどこに居ればよいのか?」分からない可能性もある。
確固たる安全基地がないままに、他者とコミュニケーションを取るのは、難しいことかも知れない。
常に他者の顔色を伺うようになるのでは?
子供って、エーテルや嘘に敏感なので、
表面を繕おうとする人が持つ、一種の居心地悪さを感知する。尊重を知らない子供同士の場合、時に率直に反応を表現することもあるかと。
友人も、他者や親に認めてもらいたくて、
相手の期待に沿うことばかりしていたそう。
そして、そのうわべのコミュニケーションも上手くいかないという。
この辺は、ミラーニューロンの機能と
聴覚の開き具合の差異も関与してそうなんよね。
上手くいくことで手放せなくなることもあるので
上手くいかないのは、スタートしやすくもある。
集団の中に属す体験
クラスやクラブ活動、もしくは友達との間で
時にケンカやぶつかりあいなど
なんやかんやあり、
その中で自分ができること
友達が得意なこと
そのMIXでチームとして成し遂げていくこと
を経験していき
自分が尊重されたり承認される事もあれば、
他者を尊重したり承認する体験をしていく。
そうやって所属欲求や
承認欲求が満たされていく。
順調にいけば
12歳までには、尊重欲求は満たさる。
(現実は、ほぼこうなってないゆえ、
諸々のワークなり取り組みがある)
尊重欲求が満たされた場合
13歳〜45歳までが現実化欲求となり
46歳からは自己覚知欲求
覚醒欲求へと進む
というのが、欲求の階層でもある。
自己覚知の前には
(自己実現)、自己認識があるんだけど
基本的な欲求が満たされてない状態で、「そこから脱しよう」と、精神世界、覚醒や覚知についての知識が増えても、アンバランスになる。
身体がついていかない。
知識や思考はどこまでいこうと
身体は自分をごまかした所へ、着地する。
目覚めるのは身体側ゆえ
身体がついてこれない場合は、堂々巡りをする。
恋愛やパートナー選びについて。
所属欲求や尊重欲求が満たされている人が選ぶ
相手と関係性
満たされてない人が選ぶ
相手や関係性などは、
その後の関係に顕著に現れてくるのは当然かと。
+男女の本能がある。
就職や仕事も同様。
所属欲求や尊重欲求が満たされた状態で仕事をしてる人もいれば、仕事をしていく中で、満たされていく人もいる。
12歳までに尊重欲求が満たされなくとも
その後、自分が決めたことで
何かしらをしていく中、続けていく中で
できるようになる事がある。
満たされていく欲求がある。
チャレンジしたり本気になることで、
自分を認識する機会に恵まれる。
更にできる事が増えてくる。
その後、
自己実現へと進んでいく。
つまり
自発的になにもしてない人、できない人は、
「尊重欲求や承認欲求」が満たされる体験をする事なく、その前の「所属と愛情欲求」も満たされることなく、「安全の欲求」という本能レベルで生きていくことになる。
自他共に承認や尊重ができない人が、
それに応じた人間関係、仕事環境となるのは当然で、承認や尊重されない体験の積み重ね。
全部自分の意識や投影が現れている訳でね。
自分が、自分や他者を尊重できないからそうなってる訳です。
どこであれ何であれ。
他者や自分を尊重できない人は、
先へ進めない現実が現れてくる。
これは身体を尊重できてないことも同様
自分や他者を尊重できていて
身体を尊重できてないことは考えにくい。
関係してる。
所属感のなさと
身体を大切にできないのも
何か関係してる。
こゆのも結局
自己認識しかないんだなー!と。
何が起こっていたのか?いるのか?
それらを本当に知りたいと思うか、否か。
今いる場所に飽きたか?飽き足りないか?
今世はそれでいいのか?嫌なのか?
本能の安全欲求で生きていくのは、
自発的に何もできない人生。
過去のパターンの繰り返し。
そのままに、
何もできない事を自分が選んでるから。







