旧支所1階に展示された池内美絵さんの《コサージュ》。

 

 

ひろしまトリエンナーレのプレイベントに出展した際に展示会場に置かれていた抗議ビラに裏打ちして文字が見えるように構成して、特定団体が尊ぶ「菊」を形として選び、華やかな印象を与えるコサージュとして作品化している。

 

抗議ビラという”武器”を作り変えて作品に昇華したとも取れるし、批判を柔軟に受け入れる度量がアートにはあるという表明にも取れる。

私の見方としては、アーティストに対しての毒である抗議ビラを自分の“体内”に受け入れて変化させ、その”排泄物”を使って美しいものを作ったのだと解釈した。

 

 

現代人の感覚では理解しにくいが、中世ヨーロッパでは排泄物に畏怖心を覚えていたという。ヨーロッパ中世史家 阿部謹也氏によれば、大宇宙(=マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)という2つの世界に人々は棲み、人知の及ばない不可思議な事象、例えば天災・疫病は大宇宙から小宇宙にやって来ると考えられていた。小宇宙は何とか人間が制御できる範囲である。食べたものが排泄物に変化するということは、体の中と言う大宇宙を経ることで聖性を帯びたというのである。

 

と考えると、抗議ビラを作家の頭の中で“咀嚼”することで“体内”という大宇宙で消化して聖性を帯びさせ、作品の素材として聖化したのである。花弁に見える言葉は抗議ビラの残滓であるが、堆肥のごとく、アートの栄養となったのではないか。

 

 

ここまで無理矢理な見方をしなくてもいいと思うが、阿部謹也氏の本を持って行って読んでいたので、私の頭の中でつながってしまったのだ。

 

つづく