太陽の子供たちへ Page 9 ☆ | Love is Like a Rainbow ☆ 

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Page 8 からの続きです。


Page 1 は、こちらに。








          8月 28日








1時過ぎにベッドに入った後、

目が覚めたのは 7時頃。




続けて6時間もの間、ぐっすり眠れたのは、

久し振り。








Motoさんが迎えに来てくれて、

会場に向かった。





外壁に標されている シンボルの「鶴」をみて、







 

 








浮かんできたのは、

私の生まれ故郷にある「石手寺」。




境内には、世界平和の祈りを込めた「鶴」があり、

いつも最後の締めに 奉納していた。キャンドル









 

 






5年前 マサシが帰国したときに

おじいちゃんのお墓参りをしたいと、


明け方 一緒に参拝していて、

そのときも 昇る太陽に祈っていた。



※「2011 愛媛編」







> マサシ撮影




 

 






 

 






 

 








直前に 坊主頭にしていたマサシ。

マドンナに 傘で引き止められるなんてことも。(^^)







 

 









> バンクーバーで いつも借りていたことから、

今回 持ち帰ったパーカーは、

この時に着ていたものだったことに気づいた。・・・








 

 










早くから 会場の準備をしてくれていた。




お花を贈って下さった方々、

ありがとうございました。








 

 

 

 

 







 

 






 

 







 

 






 

 

 

 

 








> 撮影してくれたのは、フランクと、

プロのカメラマン 斎藤光一さん。




素敵な写真 ありがとうございます。






 

 







選んだ写真は、メッセージを紹介していた

前康輔さんが撮ってくれた中から。


私たちを見守るような眼差しを 感じて・・・





ほとんど等身サイズだったので、

目の前で観たときは ドキっとした。





> ピッタリのフレームを 用意してくれた、

Shokoちゃん ありがとう。








 

 








康輔さんに報告したときには、

こんなメッセージを 返してくれた。







お母さま

二郎さんから、昨日報告を受けました。

本当は僕もその場に行き、
まさしにお別れを言いたかったのですが、
ご無礼をお許しください。

紹介してくださったというメッセージ、
本当に心から自然にそう思いました。

まさしはそれだけ輝いて見えたのです。

僕の短いバンクーバーの滞在で、
気づいたら まさしばかり撮っていたのです。

それだけ僕が惹きつけられたのです。








 

 








 

 






 

 








紹介してくださったおかげで、
もしかしたらまさしにも届いたかなと、
嬉しく思います。

ありがとうございました。

どうぞお気をつけて。
必ず福岡にお邪魔します。







> 魂が映し出されるような写真・・・

ありがとうございます。










 

 








始まる前に 

お母さんに ひと目会いたかったと駆けつけて

涙ながら 挨拶してくれた人たちも。






ベースメントをシェアしているヘザーからは、

薔薇のコサージュを。バラ





彼女は、こんなメッセージを

載せてくれていた。






Masashi, dear friend,
a great inspiration to all of us!

Your courage, strength and leadership will never ever be forgotten! 

Peace and the light of many forests be with you...









 

 






 

 

 



「Celebration of Life」





 

 

 

 

 

 

 








 

 









司会進行役は Motoさん。




急な依頼だったにも関わらず、

快く引き受けて下さり、




オープニングでは、マサシのエピソードを紹介しながら、

明るく和やかな場を 作ってくれていた。









 

 







最初のスピーチは、

バーナビー市の市議会議員 Anne Kong さん。







 

 









去年 バーナビー市と釧路市が姉妹都市になって

50周年を迎えた記念行事が催行され、



釧路市から市長をはじめ、市会議員、市関係者など

公式訪問団20名と市民友好親善訪問団40名の一行が

5日間 バーナビー市を訪れた際に、




ツアーをオーガナイズしたり、

一行のサポートをしていたという。





私たち家族には、市長からの手紙も渡され、


マサシの人柄とサポートは、釧路の人たちからも賞賛されていて、

記念行事は大成功を修めて、



日本とカナダを繋ぐ架け橋になってくれたとの

感謝の言葉があり、





それだけに 双方の関係者は、

大きなショックを受けているということも。









 

 










姉妹都市やイベントについては、初めて耳にしたことから、

何気なく調べてみると、こんな記事が出てきた。





バーナビー・マウンテンには、

阿寒湖アイヌコタンの彫刻家床ヌブリ氏(故人)が制作したカムイ・ニ(神の木)が、

阿寒湖アイヌコタンに
立つ彫刻群と向かいあって林立し、人々に親しまれています。









もしやと思いながら、

過去のレポートをチェックしたら・・・



そのアイヌコタンには 10年前の旅で訪れていた。(!)





摩周湖で「世界平和と地球蘇生」を祈って、

アイヌ時代のことを思い出した後で 行くことになり、




アイヌの古式舞踊をみながら、



過去生だけでなく、

アイヌの精神を 今生でも伝えたい思いが
あることに

気づいていた。









アイヌ民族の祖先は、

この地をアイヌモシリ(人間の静かなる大地)と呼び、

自然界をカムイ(神々)として謙虚に祈り、

自然の恵みに感謝をし、

「カムイありて我あり、我ありててカムイあり」との互助精神で、

自然を改造・破壊・汚染することなく生活してきた。










 

 









> その翌日に、丹頂鶴を観察していたときも、

「鶴」シンクロが続いていた。




※「2006 雪の北海道編 Page 2」








ムックリの笛は、マサシのお土産にしていた。


白フクロウの鍵掛けは、今も使っていて、

アイヌにとっては守り神で、

マジックの象徴だった白フクロウは


何度か 
別の形で現れたことがあって、

いずれも マサシと一緒にいるとき。




※「2013 MEシアトル編 Page 7」








さらに 出てきたのは・・・




その記念行事では、カナダと日本の友好を象徴する、

アイヌの彫刻とカナダ鶴が置かれた、

「神々の集うプレイグラウンド」といわれている公園を、


「Kushiro Park」(釧路公園)と改名する除幕式もあり、









 

 







 

 






 

 








今までに例のない感動を呼び起こす展開が繰り広げられ、

大きな成果をあげたと書かれていた。




※ 釧路・バーナビー姉妹都市提携50周年記念







それぞれのフィールドで、

宇宙(自然界)と共同創造してきたことが、


次々に 統合されていく・・・。







>  アブシンベル神殿



 

 






 

 

 

 

 






続きは Part 10 へ。