結婚と出産 | 筋膜リリースで食ってる 施術者のひとりごと

筋膜リリースで食ってる 施術者のひとりごと

当サロンは元々、オールハンドで筋膜リリースを提供しておりましたが、2018年から全身ケアの痛み軽減にメディセルを使用しております。頭痛や肩こり、腰痛、緊張性頭痛や冷えなどを感じやすいかたにも好評です。あなたのストレスを軽減するサポートをいたします。

自信をなくしかけていた彼。

 

 

私の2人の子どもや

生まれてくる赤ちゃん、

そして私に対してなどすべてに。

 

 

今まで彼からもらった愛情に

私ができる事はなんだろう...

 

 

思いきって「結婚しよう!」と

言ってみようか、そう考えた。

 

 

正直治るか治らないかもわからない。

介護が必要になるかもしれない。

そんなことは覚悟していること。

 

 

いま必要なのは

彼自身が<生きたい>と思うこと。

 

 

私がいつでもそばにいることを

わかっていてほしかった。

 

 

「こんな時になんだけど・・・結婚しない?」

 

 

「え?」

 

 

「もう7か月だし、

手術も控えてるし手続きしよ」

 

 

「でもな・・・」

 

 

「内縁だと制限があるけど、

結婚してたらたくさん協力できるし」

 

 

(そんなこと全く関係ないけど・・・)

 

 

「それでいいの?」

 

 

「もちろん!」

 

 

そういった瞬間、

肩の力が抜けて、ホッとした顔になった。

 
 

彼自身も「ひとり」で闘っていたのだ。

 

 

それからは二人で市役所に行き

婚姻届やら上の子どもたちの

養子縁組などバタバタとこなした。

 

 

いよいよ、術日の3日前。

病院へ。

 

 

病室に向かうエレベーターで

偶然担当の若手医師が乗り込んできた。

 

 

にこっと笑い

「あらら!

奥さんは横に大きくなる分

旦那さん痩せていってるじゃないですか」

そう話しかけてきた。

 

 

彼は「そうなんですよ」と

笑いながら答えるという

やりとりがあり

少しだけ緊張感がほぐれた。

 

 

病室につき術前入院の説明を聞く。

 

 

その時にわかったのは術前

早めに入院はするが

基本やることがないということだ。

 

 

それがわかり、彼は

「病院にいたくねーな(笑)」と。

かけ合うと手術前日の午前中に戻るなら

外泊扱いが可能との返答だったので

手続きをしていったん家に帰った。

 

 

食べ物の制限もなかったので

その日は「秋のさんま」を

帰宅途中で購入し夜の食事にした。

 

 

翌日はゆっくりくつろいでもらい

次の日の朝の入院に備えた。

 

 

あくる朝、病院へ。

説明を一緒に聞き

明日は義母と一緒に来るからと約束し

帰路についた。

 

 

手術当日。

麻酔前の彼に会えるよう

義母とバス停で待ち合わせ

朝早くのバスに乗り病院へ向かった。

 

 

病院に到着し、病室に行くと

術前の彼がベッドにいた。

彼は「取っちゃえば終わるから」と。

病室での処置を終えて手術室へ向かった。

 

 

手術中、絶対に大丈夫!と

言い聞かせていたが

予定より時間が大幅に過ぎ

もしかするとリンパ節への転移が

他にもあったのだろうか?などと

余計なことばかりが頭をよぎった。

 

 

テレビモニターの手術終了の文字。

 

 

どうだったんだろうか?

問題なかったのだろうか?

 

 

色々な思いが頭をよぎっている時

担当医師に呼ばれ状況説明を受けた。

手術自体は成功しましたと。

 

 

予想外だったのは

直腸のところに転移が認められたため

急きょ内容を変え切除したとのことだった。

(術中、万が一の可能性があった場合の

内容説明から同意書は提出済)

 

 

もうひとつ予定外だったのは

肛門の括約筋に予想よりも浸潤があり

切除しなくてはいけなかったこと。

 

 

そのことが今後QOL(生活の質)に

大きく影響していくことになる。

 

 

肛門の括約筋を切除する

しないに関係なくストーマを一時的に

付けることは決定していた。

 

 

大腸がん手術後のストーマケアより)

 

 

術後2人でストーマを使用する際に

必要な物品の購入の仕方や

装着の仕方などの説明を受けた。

 

 

ストーマについては

大腸がん手術後のストーマケア

(国立がん研究センター

情報サービスに飛びます)

 

 

ストーマのストレスは実はかなりのもの。

 

 

「慣れです」と言われるが

正直メンタルのダメージは大きい。

 

 

それでも生きていくということは

折り合いをつけていくしかないのだ。

近くに理解し協力する人がいることは

おそらく必須だろうと思う。

 

 

想定外のことで仕事ができなくなった彼。

 

 

彼はそれでも前向きだった。

「まあ、取り切れたっていうから

あとは傷の痛みが治るだけでしょ」と。

 

 

退院から4日ほど経った時

「なんか腹痛いな」と。

 

 

便が出ているか聞くと

あまり出ていない様子。

そしてお腹を見せてもらうと

明らかに出ている。

 

 

病院に電話を入れると

緊急入院の支度をして

すぐに来るよう言われた。

 

 

義母に連絡を入れ

留守番する子どもたちの

お世話をお願いし

すぐに病院へ向かった。

 

 

病名は腸閉塞。

 

 

その場で緊急入院。

そうならないような食事を

心がけていたが避けきれなかった。

 

 

3泊4日して状態が良くなり

帰宅することとなった。

 

 

そこからは食べ物を少しずつ

噛んで食べるようになった。

 

 

それからの回復は早く

それに合わせるように

出産が近づいてきた。

 

 

夜中いよいよ陣痛が始まり

子どもたちには

寝ているように伝え

彼は立ち合うということで

一緒に病院に向かった。

 

 

10年ぶりの出産は

どうも初産とあまり変わらないようで

なかなか降りてこなかった。

 

 

退院してまだひと月も経っていない彼は

起きているのもしんどくなってきて

顔色が悪くなってきた。

 

 

私は陣痛で寝られないので

分娩室に行く時に起こすことにして

私のベッドで寝てもらった。

 

 

朝の5時過ぎになって

陣痛が本格的になったので

彼を起こし分娩室へ。

 

 

6時くらいに産まれたのだが

彼が初めに見た赤ちゃんは

超かわいい・・・

 

 

はずだったのだが・・・滝汗

 

 

ちょっと程遠かったようで

新生児ベッドから

赤ちゃんが足を投げ出した姿を

見てしまったのだ^-^;

 

イメージ(ベビーベッド

 

 

たしかに体重も3700gで

大きかったが、産まれた時の

態度がこうなのかい?ポーンと。

 

 

「俺ら2人の赤ちゃんだから

こんなもんか笑い泣き」と

笑ってしまう赤ちゃんだったのだ。

 

 

それから

私が病室に戻ったのを見計らって

「子どもたち学校に送って来るね」

そう言って家に帰っていった。

 

 

 

記事を最後まで見れたら

ポチしてくれるとうれしいです笑1

 


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