今回も、引き続き、
博物館として一般公開され始めた
旧アメリカ大使館をご紹介します。
案内してくれたお兄さんが
特別室だと言って連れていってくれた、
一番奥まった場所にあった、この部屋。
ラジオ通信機器類が並んでいました。
下写真(↑)は当時の写真です。
この部屋の一番奥に、扉がありました。
ここが「秘密の部屋」だと言います。
開けるのにも何やら
厳重な仕掛けがしてあるようですし、
扉のこの分厚さと言ったら。
ドア枠にあったこの金属のひだのようなところに
開いているドアの金属部分が差し込まれるようです。
中は絨毯ばり。
またしても機器類が並んでいます。
盗聴やらコード化やらに関する部屋のようです。
一番奥には、金庫のような仕掛けがあって、
隣の部屋と通じていました。
後ほどご紹介します。
一旦その小部屋から出て、
隣接する部屋へ。
ここには、大型シュレッダーが
3機(↓水色)ありました。
人質事件の際、
アメリカ側は文書をシュレッダーにかけ、
それをイランの学生が復活させた部分もある、と
説明してありました。
中央(↓)の棚のようなもの、
大使の部屋にあったものだそうで、
引き出しが無理やりこじ開けられたのであろう
跡があります。
この部屋にも分厚い扉の先に
情報送信ルームが続いていて、
部屋の奥(↓右)は、
前述した金庫のような仕掛けに通じていました。
電話の古めかしさが、
時代を感じさせます。
こちらは、パスポートなどを作っていたという場所です。
スパイを送るために
カナダ、オーストラリア、サウジアラビアの
偽造パスポートを作っていた、と掲示されていました。
イランに滞在中に
ここへ入る機会があるとは思っていなかったです。
見たものをそのままお伝えできればと思い、
ブログに載せました。
映画『アルゴ』をまだ見たことがないので、
ぜひ見てみなくてはなりません。