俺は夏には特別な思い入れがある。子供の頃からずっと夏が大好きで、夏が待ち遠しくて。
お盆が近づくと広島から大好きな従兄弟のサトシがやってくるからだった。毎年サトシが家にやってくるのが楽しみで、楽しみで。毎年が特別な夏だった。
サトシと俺と、俺の友達を連れて、よく普段行けないような遠くの川に連れて行ってくれた。親父は俺が大切にしているものをとても大切にしてくれた。サトシのことも、友達のことも俺を可愛がるのと同じように可愛がってくれていた。面白くて、なんの気兼ねのないおっさんだったので、みんなと仲が良かった。その関係は大人になってからも変わらなかった。
サトシが前乗りでやってきて、サトシの妹とお母さん、他の従兄弟たちも、毎年8月15日の花火大会に合わせて我が家に集まるのが毎年の恒例行事だった。子供の頃から、大人になった今でも、夏にうちの実家に親戚が集まる。
俺が育った家は家賃3,000円くらい6畳二間とかの町営住宅で、親父が勝手に継ぎ足した4畳半の部屋があったがとにかく狭くて古い家だった。子供の頃にはその家にウチの4人家族+従兄弟2家族6、7人+婆ちゃんがやってきて、最大で12人がすし詰め状態。寝るときは雑魚寝。もうごった返していた。
大人になった今では、その町営住宅はすでに取り壊され、別の町営住宅が実家となったが、流石に大人が12人は厳しいので、家の裏にあたる山の頂上キャンプ場があって、そこの管理棟を貸し切ってバーベキューして過ごして花火大会を待つのが恒例行事となっている。
親父は神経質なんでキャンプ場に寝泊まりはできないといって家で過ごしているが、その夏もいつもと同じように皆が集まり、バーベキューをして花火大会を見て、神楽を見た。
みんなにも親父の癌のことは知らせていた。8月16日にキャンプ場を片付けて、みんな一旦実家の前に集合。また来年もみんなでやろうねと言いながら、どこかで親父がいる夏はこれで最後かもしれないと、誰も口には出さなかったけど、みんなそう思っていた
だろう。でも、親父のためにこんなに県外から親戚が集まってくれて記念撮影できたことは忘れられない夏の思い出になった。
この頃はすでに食事療法を開始しはじめていた頃で、顔の肌艶も良く、秋には命が尽きる、年を越すのは難しいと言われた人には見えないほどピンピンしていた。
