今、私はディアゴスティーニの「日本の傑作機」シリーズを定期購読しています。
最初は純粋に航空機が好きだから、というところから始まったのですが、完成した機体が増えてケースの中に並ぶようになると、少し見え方が変わってきました。
零戦、隼、鍾馗、飛燕、雷電、紫電改、烈風、屠龍、九九艦爆、九七艦攻、流星、零式水上偵察機……。
同じ時代、同じ国が造った航空機なのに、驚くほど似ていません。
そして今回、彗星を組み立てました。
これがまた凄い機体です。
液冷12気筒のアツタ発動機を搭載し、細い胴体に爆弾倉を内蔵。
主脚だけではなく尾輪まで格納式。
高速性能を狙って主翼はかなりコンパクトにまとめられ、その一方で艦上機として必要な低速性能を確保するため、高揚力装置にもかなり凝った設計がされています。
模型を組みながら、
「よくこの大きさに、これだけのものを詰め込んだな……」
と思いました。
空技廠の技術者たちが、相当に高いレベルで航空機を考えていたことが伝わってきます。
私は大学時代、旧海軍の空技廠経歴を持つ教授から航空工学を教わりました。
非常に厳しい先生でした。
毎回講義前には範囲不明の小試験があり、資料を持ち込める定期試験でも、知識を書くだけでは通用しない。
「なぜそう考えたのか」
そこを徹底的に問われました。
当時は本当に大変でしたが(笑)、今になって日本の航空技術を改めて見ていると、あの先生から教わったことを少し誇らしく感じます。
ただ・・・
完成した彗星をケースに入れて、他の機体と一緒に眺めているうちに、別のことも考えてしまいました。
これだけ多種多様な機体を、いったいどうやって造り続け、維持したのだろう?
ということです。
一機ずつ見れば、本当に素晴らしい。
しかし、生産する側から見れば話は変わります。
機体が違えば、構造が違う。
発動機が違う。
脚も違う。
冷却方式も違う。
油圧、電装、武装、使用する部品、治具、検査方法まで変わってきます。
さらに部隊へ渡った後には、交換部品を供給し、整備方法を教育し、それぞれの機体に習熟した整備員を育てなければなりません。
彗星の解説にも、アツタ32型液冷12気筒発動機の整備には、整備側の習熟が大きく影響したことが書かれていました。
興味深かったのは、十分に習熟した整備要員によって運用されていた機体では、必ずしも問題ばかりではなかったという点です。
だとすると、
「日本の液冷発動機は駄目だった」
だけでは説明できません。
機械として成立していたとしても、それを安定して運用するために高い技能が必要なら、その技能を機数に合わせて増やさなければならない。
戦線が拡大し、機体数が増え、人員が入れ替わり、資材や補給が厳しくなれば、その仕組み自体が苦しくなっていきます。
ここで私は、以前とは少し違う見方をするようになりました。
戦争末期の日本機については、
工作精度が落ちた。
材料が悪くなった。
熟練工が不足した。
学徒動員による生産だった。
そうした説明をよく目にします。
もちろん、それらも実際に起きたことでしょう。
しかし、もっと上流に、
「そもそも、この多様性と複雑さを当時の日本の生産力と補給能力で維持できる仕組みだったのだろうか?」
という問題があったのではないでしょうか。
優秀な技術者が、それぞれの要求に対して素晴らしい答えを出す。
すると優秀な機械が生まれる。
しかし、個々の最適解を集めれば、全体も最適になるとは限りません。
ここまで考えたところで、妙なことに気付きました。
これ、Air Repairも同じだったのです。
私は長い間、「小さな会社でも出来るチューニングとは何だろう?」と考えてきました。
iQ用のエアロパーツ?
サスペンションKIT?
エンジン本体のチューニング?
ROTREXスーパーチャージャー?
クロスレシオ?
ローファイナルギヤ?
LSD?
色々なものを検討し、試作しデータを取る。そして実際に形になったものもある。
しかし、その度にぶつかったのが、造れることと、造り続けられることは違うという問題でした。
Air Repairには大企業のような設備も、人員も、資本もありません。
そこで次第に、必要な企業規模を小さくしても成立する技術へと方向を変えていきました。
静電気除去・抑制コーティング剤や考え方。
エレスタビヒューズとその基礎理論。
GND系の在り方。
吸気系。
どれも小さな部品で、車両全体へ大きな変化を与える方法です。
ところが、ここにも別の問題が残りました。
例えばCNTP施工。
塗れば良いわけではありません。
どこへ使うか。
どの程度使うか。
車両の状態を見ながら判断します。
GNDも同じです。
太ければ良いわけではありません。
0.75sqを使う場所もあれば、8sq、15sq、20sqを使う場所もあります。
接続する場所によっても目的が変わります。
エアスムーサーも、製造されたものをそのまま組み付ければ完成ではありません。
最終的な形状を見ながら手を入れ、吸気管との位置関係を確認しながらアッセンブリーします。
つまりAir Repairは、私が作業すれば性能を再現できる。
しかし、
誰が作業しても同じ性能を再現できる。
というところまでは出来ていないのです。
昔、銀行や日本政策金融公庫へ事業計画を持ち込んだことが何度もあります。
計画そのものについては、
「ここまで具体的な事業計画はあまり見たことがない」
と評価されたこともありました。
それでも融資には至らない。
言われたことの一つが、
「再現性が読めない」
ということでした。
当時の私は、その意味を完全には理解していなかったのかもしれません。
私にとっての再現性とは、
「自分なら、もう一度同じものを作れる」
ということだった。
しかし事業として問われる再現性とは、
「あなたがいなくても同じ品質を作れるのか」
だったのでしょう。
彗星を眺めながら、そんな昔のことまで思い出してしまいました。
もちろん、戦時中の国家的な航空機生産と、小さなチューニング事業を同列に語るつもりはありません。
規模も目的も全く違います。
しかし、
優れたものを造ることと、それを安定して造り続けることは別の技術である。
という点では、同じ問題が見えてきます。
戦前の日本には、素晴らしい機械を生み出す技術者がいました。
そして戦後の日本は、そこに品質管理、生産管理、標準化、サービス、部品供給などを加え、
「凄いものを普通の商品として造り続ける」
ことを得意とする国になったように思います。
これは自動車を見ても感じます。
高性能な一台を作るだけなら、方法はいくらでもあります。
しかし、その性能を何千台、何万台という単位で安定して生産し、普通の販売店で整備でき、部品を供給し続ける。
こちらの方が、実は遥かに難しい。
そして今のAir Repairも、まだこの問題の途中にいます。
NAGIを十数年触りながら・・・
何が出来るのか。
何が出来ないのか。
何なら続けられるのか。
随分遠回りをしてきました。
昔は、それを自分の「迷い」だと思っていた時期もあります。
でも今は少し違います。
造ることだけではなく、造り続けられるかを考えていた。
そう考えると、あの遠回りにも意味があったように思います。
そして、その経験を最初から持った状態で手を入れ始めた車が、
RN1ステラカスタムRS “SHINO”です。
だからSHINOは、まだ変わります。
Air Repairが大きくなったからではありません。
小さいままで何が出来るのかを、十数年かけて学んできたからです。
凄いものを造る力。
凄いものを造り続ける力。
似ているようで、実は全く違う。
完成した彗星を眺めながら、そんなことを考えていました。
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