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IPU・環太平洋大学サッカー部公式ブログ

環太平洋大学サッカー部の公式Blogです。
試合戦評はもちろん、地域貢献、ボランティア、普及活動、イベント企画など様々な活動の報告を選手自身が行います。

こんにちは。環太平洋大学3年の津川侑和です。
今回は、天皇杯岡山県予選決勝と今後の目標について書きたいと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。



「J撃破」――これが今年の天皇杯におけるチームの目標です。シーズン開幕前、チーム全員で話し合い、この目標を掲げました。昨年の天皇杯予選準決勝では敗退し、非常に悔しい思いをしました。自分自身もその試合に出場しましたが、何もできず、不甲斐ないプレーに終わってしまいました。大好きな先輩たちと少しでも長くサッカーをしたい、そして共により高い舞台を目指したいという思いがありましたが、それは簡単に叶うものではありませんでした。
新シーズンが始まり、DENSOカップでは中国選抜に2年連続で選出され、さらに今年はプレーオフ選抜にも選んでいただきました。大会を通して、関東・関西・九州といった各地域のプロ内定選手たちのプレーを間近で見ることができ、多くの刺激と学びを得ました。同時に、自分はこのままでは通用しないという危機感も強く感じました。



そして迎えた天皇杯予選。昨年敗れた準決勝では苦しい展開もありましたが、無失点で勝利することができ、チームとして大きな成長を感じました。決勝はJFE晴れの国スタジアムで行われ、相手も一度対戦したことのあるチームだったため、厳しい試合になることは予想していました。なかなか得点が奪えない展開でしたが、守備陣が粘り強く無失点で耐え、最終的に勝利することができました。
優勝した瞬間は素直に嬉しかった一方で、「このままではいけない」という思いも強く感じました。「J撃破」を達成するためには、まだまだ多くの課題があります。
天皇杯岡山県予選での優勝はゴールではなく、あくまで通過点です。目標である「J撃破」、すなわちジャイアントキリングを成し遂げるために、日々の練習に全力で取り組み、一つひとつのプレーの質にこだわりながら、チーム一丸となって成長していきます。
また個人としては、チームを引っ張る存在となり、目標達成に欠かせない選手へと成長したいと考えています。そして、日頃から支えてくれている仲間や家族に結果で恩返しができるよう、これからも努力を続けていきます。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
環太平洋大学サッカー部3年の小宮一馬です。
拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

監督のその一言を背中に受けてピッチに入った。
あの日の天皇杯岡山県予選準決勝、三菱自動車水島FCとの一戦は、試合前から絶対に負けられない戦いだと思っていた。去年は自分も社会人カテゴリーでプレーしていたからこそ、社会人のうまさ、強さ、賢さはよく分かっていた。簡単に勝てる相手じゃない。間違いなく厳しい試合になる。そういう覚悟を持ってこの試合に入っていた。



正直、メンバー発表でスタメンじゃないと分かった瞬間はめちゃくちゃ悔しかった。
「俺が試合を決める。」と思って準備してきた分、その悔しさは大きかった。でも、すぐに切り替えて、途中から入って流れを変える存在になってやる、スパーサブとしてこの試合を決めてやる、そう思った。

ベンチから見ていた試合は、まさに想像していた通りの展開だった。
三菱は経験のある選手が多くて、簡単には崩れない。チャンスの数も五分五分くらいだったと思う。自分たちも相手陣地まで入ることはできていたけど、決定的な場面はそこまで多くなかった。だからこそ、この試合は最後、ほんの少しの差で決まるんだろうなと感じていた。

途中交代で出るとき、桂さんに言われたのはシンプルに「点決めてこい。」だった。
もちろんFWとして出る以上、結果で示すしかない。点を取って、この試合を動かしてやる。その気持ちだけを持ってピッチに入った。

途中出場から入って決定機は2回訪れたが全部外していた。
そしてゴールは延長後半に生まれた。
自分はそのとき左サイドハーフのポジションだったけど、セットプレーの流れの中でポジションが少し変わって、中央に残っていた。そこからクロスが入る流れになって、自分は相手センターバックの間にポジションを取っていた。相手の頭をギリギリ越えてボールが自分のところに来た瞬間、「きた、チャンスだ」と思った。体ごと飛び込むように合わせた。当たった感触はあったけど、その瞬間は相手キーパーの手なのか、ボールなのか、正直よく分からなかった。倒れたまま顔を上げたら、ボールがネットを揺らしていた。



その瞬間、全部が吹き飛んだ。
悔しさも、苦しさも、スタメンじゃなかった現実も、全部がその1点に変わった。気づいたらベンチに向かって走っていて、そのまま仲間のところにスライディングしていた。みんなが発狂しながら上からのしかかってきて、自分は完全に下敷きだった。でも、その重さがたまらなくうれしかった。あとから振り返ると、あの重さは喜びの重さだったと多分思う。

この試合まで、自分の中では出場機会に対する悔しさがずっとあった。
学生予選準決勝ではスタメンだったけど、その後はスタメンから遠ざかっていた。だからこそ、「また戻ってやる」「自分の価値を気づかせてやる」っていう気持ちで毎日の練習をやってきた。少しだけかもしれないけど、その積み重ねが報われた瞬間だったと思う。

勝った直後に感じたのは、ただのうれしさだけじゃなかった。
もちろん最高だった。練習試合で取る1点と、こういう互角の相手との真剣勝負で取る1点は、重みがまったく違う。その違いを心の底から感じた。自分の未来につながる1点だったし、IPUの評価を上げる1点でもあったと思う。でも同時に、あの1点は自分一人で取ったものじゃないとも強く思った。

ピッチで最後まで体を張った仲間がいた。
スタンドから声が枯れるくらい応援してくれた部員がいた。
指導してくれるスタッフがいた。
みんなで取った1点だった。その最後に触ったのが自分だった。それだけだと思う。



応援してくれたすべての人に、本当に感謝している。
この勝利で満足するつもりはない。でも、この1点の重み、この試合の熱、この瞬間の景色は絶対に忘れない。
2026年、今のところ自分の中で一番のゴールだった。
そして次は、この1点を超える瞬間を、またみんなでつかみにいく。

以上 小宮一馬ブログでした。
こんにちはi1に所属している岡一輝です。アンビションズカップについての感想を書くので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。




今回の遠征の試合では、関東や関西のチームとできてとても刺激をもらうことができました。とくに守備の強度や一つ一つのプレーの質がとても高かったのでもっと自分も日々の練習から全てのプレーの質を上げていかないといけないと感じました。



遠征の宿泊先では、みんながサッカーの話しやサッカー以外の話しで盛り上がってとても仲が深まっていると感じたので、今回の遠征はチームとしてとてもプラスになったと思いました。



iリーグ開幕までもあと1ヶ月くらいあるのでもっといいチームになって開幕戦で勝てるように頑張っていきます。
まずは、スポンサー様をはじめ、学校関係者の皆様、保護者の皆様、応援に駆けつけてくれた部員・学校の友達など、この1年間環太平洋大学体育会サッカー部へ盛大なるご声援をいただき、誠にありがとうございました。
『 3冠 』この目標は、叶えられませんでしたがそこに至るまでの自分の話ではありますが、少し書かせて頂きたいと思いますので、最後まで読んで頂けたら幸いです。



まずは、あまり話していなかったなぜ、関東からこの環太平洋大学に来たか。

自分自身、最初は地方という選択肢が全くなく、関東で大学を探していたけど自分の理想としてるレベルの大学からのオファーは無く、その時柔道部の先生、大森淳司先生(現・全日本柔道連盟女子ジュニアヘッドコーチ)が地方の大学だったら全国大会も出れる所が多いいし、色んな人と関わって、将来の人脈を作れて、サッカー以外でも成長出来ると思うから地方めっちゃいいと思うぞと言われて、最初はずっと実家だった自分はいや~想像できないんですよねなど聞き流していました。

そこから、
初めて行った練習参加が『 国士舘大学 』その時のメンバーは、キーパー飯田雅浩(現・カマタマーレ)、バックラインには、望月ヘンリー(現・町田ゼルビア)、山田裕翔(現・いわきFC)、ボランチには、綱島悠斗(現・アントワープ)、アタッカーのポジションには棚橋尭士(現・栃木SC)など、チームを見ても個人を見ても日本一なチームに行ったことを覚えていて、関東のレベルの高さを痛感しました。

国士舘大学楓の杜キャンパスサッカー場から、新小岩駅に帰ってる時に、ここまで自信を持っていたサッカーに自信を持てなくなりました。
その時に、大森ボスがきっかけをくれた地方大学と言うことを考えるようになり、当時のエージェントが、『 環太平洋大学 』を紹介してくれて、練習参加に行ったことを覚えています。


練習参加に決まると、トロンボーンより低いと思われる声で電話がかかってきてその相手は、
今シーズンの監督でもある、羽山温音君・今シーズン1年間ずっとやってきた清水健太GKコーチでした。
一緒に地方で頑張らないか。と言われた事を覚えています。その時に、インカレ・総理大臣に出て地元に戻って親に成長した姿を見せたいと思い、この大学に入学しました。



                 『 2025シーズンスタート 』

岡山県大会天皇杯準決勝  vs環太平洋大学FC
1-4  ⚫️

トップチームのゴールキーパーとして出た試合で
相手は、カテゴリーでは1個下のBチーム(FC)
絶対に負けてはいけない試合。そこで、失点に絡むミスをしてしまい。そのまま試合に入れず、示しのつかない不甲斐ない結果になりました。4年生から、1つの大会を奪ってしまい本当に今でも申し訳ないです。



そこから約4ヶ月怪我に苦しみシーズン前は
全試合スタメンで、チームを勝たせていいシーズンにしようと思っていた自分が、1つの試合で怪我をして、地に落ち、戦線離脱するという形でリーグ前期が終わりました。

後期開幕スタメンに入り、徐々に試合観も慣れてきて総理大臣杯中国予選・全国大会。
結果は出場時間20分。
自分の評価と周りの評価は違く、もっと客観的に自分は何が足りないのか、どうしたらチームに貢献できるかなど人間的にも成長しないとこの状況はいつまでも変わらないと考えるようになり、インカレでリベンジしてやろうと強く思いながら練習をしていましたが、
結果はプレーオフvs日本体育大学
メンバー発表をされるとベンチにいる自分の名前がありました。

正直びっくりした。

その日は中々切り替えれなくて踏ん張り時と思って上級生として、態度には出ないように出る選手をやりやすく最高な形で試合に送り出そうと空元気の中練習をしていた事を覚えています。笑
試合は2-3⚫️ で勝てなかったです。



環太平洋大学体育会が沢山応援に来てくれて、友達も沢山来てくれて、本当に最高な環境を作ってくれて、ありがとう。
だからこそ本当に勝ちたかったし、勝利をして笑顔でみんなに帰って欲しかった。




自分の出来る事は、泣いてる姿を見せる事ではなく、自分らしく笑顔でみんなに『 来てくれてありがとう。』と感謝の気持ちを伝える事かなと思って、ありがとう。と言っていたら


サッカー楽しい!感動した!!
また見たい!!次は勝てよ!!


ポジティブな声ばかりみんなかけてくれて、本当にこの大学に来て良かった。素敵な人達に会えてよかった。と心から思えて、涙が出そうになってました。









ここからまだまだ話したい事がありますが話がまとまらないので、最後に。















『スーパープレイ』じゃなくて良いもん。

ただ平凡なプレイを積み重ねよう。

価値ある命を身に付けているのに余計なもん身につけてどうするの?

茨道も獣道もそこに道があるんなら歩いてみよう

最初から実力で負けているのに『生き様で』負けちゃってどうするの?




必ず試合前に聞く『PINO』






最後まで読んでくれてありがとうございました!
これからもこのチームは強くなります。
2026シーズンも、応援よろしくお願いします!








どーも。環太平洋大学4年の谷聖己です。拙い文章でまとまりがないと思いますが、暇な時にでも見てみてください。



私は小学3年生からサッカーを始め、サッカー歴1年で県の選抜に選ばれる才能ある選手でした。そしてそのまま5・6年生と全ての代で県の選抜に選んでもらい、さらには6年生の時には県大会で全て優勝。全国大会も経験し、順風満帆で「自分はプロになれる!」そう思っていた小学校生活でした。
中学では、Jリーグの「徳島ヴォルティス」の下部組織のセレクションを受け合格し、県内トップの選手たちとプレーできる環境にワクワクしていました。しかし現実は甘くなく、自分より上手い選手ばかりで、1・2年生はほぼBチーム。それでも3年生では全試合に出場でき、高校でも「徳島ヴォルティスの一員としてプレーしてほしい」という話をいただき、ユースに昇格することができました。
しかし高校で1番の挫折を味わいます。1年生では一度もAチームに入れず、2年生でも「自分だけメンバーに入れない日」もあり、サッカーが嫌いになり練習に行きたくない日々が続きました。3年生になっても思うような結果は出ず、トップチームに昇格できませんでした。そこで私は環太平洋大学でプロを目指すことを決めました。



大学4年間を振り返ると、「自分より上手い選手はいない。自分が一番上手いのになんで一番上でプレーできへんのや」と思い続けたサッカー人生だったと思います。しかし4年生になってから気づきました。その気持ちこそが自分の成長を止め、サッカーへの真剣さを欠き、「この程度のサッカープレーヤー」で終わってしまったのだと。
1年目。FCに所属し、「一番上のカテゴリーではないけれど、こんなに上手い先輩方がこんなところにいるんだ」と驚きつつも、「上手さだけなら自分が一番や」と思っていました。しかしスタメン出場は0。途中出場は多かったものの、「自分はこんなもんじゃない」「なんで出れへんねん」と思う日もあり、傲慢で生意気な1年生でした。
2年目は全試合スタメン。しかし「チームのために何ができているのか」「なんで自分はこんなにできへんのや」と悩む日々。それでもどこかで「試合出てるしええか」「自分より下手なやつばっかやしええか」という甘えがありました。挙句の果てには降屋さんに怒られ、自分の不甲斐なさにイライラして返事を無視したり、不貞腐れた態度を取ってチームに迷惑をかけました。(今だから言える「後輩たちは本当に降屋さんの言うことは当たるから聞いた方がいい。」)
シーズン終了後、新人戦のメンバーに選ばれましたが、「全国に行ってからの戦力として考えているから、簡単に出れるとは思わんといてほしい」と告げられ、その時の私はプライドが高く「出れへんなら行っても意味ないやん」と思い一度断ってしまいました。今考えれば、トップチームでもない自分が簡単に出れるわけないし、「トップチームの人達を見返してみろ」という監督からの期待のメッセージだったのだと思います。
その後、新人戦組が全国出場を決め、「このまま出場しないままでいいのか」と葛藤し、もう一度チャレンジしたいと話してメンバーに入れてもらいました。しかし言うのが遅く、登録に間に合わず、そのときモチベーションが一気に落ちました。そんな時、2年生から共に左サイドを守ってきた海老沼くんから励ましのLINEが来て、気持ちが救われ「もう一度頑張ろう」と思えました。ありがとう、海老沼。
3年生。FCの最高学年となり「天皇杯に出たい」「全社に出たい」という気持ちは強くなりました。しかし天皇杯は三菱に負け、全社は福山シティに0-4の大敗。悔しさしかありませんでした。ただひとつだけ後期の福山シティ戦のゴールは今でも覚えています。あれは最高でした。(「もっと褒めてくれてもいいのにな」と思ったほどです。)冗談は置いておいて、そんな3年目でした。
そして4年生。ここで気づきました。「サッカーが上手いだけではダメ」だと。3年時のスタメンメンバーの中でFCに残れなかったのは、休部組を除くと自分だけでした。正直、みんなの前では強がってたけどすごく悔しかった。でもこれが現実でした。
Iリーグに移り、最初は「相手は学生やし余裕やろ」と完全に舐めていました。遊ぶ時間も増え、努力を怠るようになりました。しかし周りの熱量が上がり、休部組やFCの4年生が合流し、レベルが一気に上がると、サッカーがまた楽しくなり、熱も戻りました。でも遅かったんです。
本当は休部組やFC組がいない時こそ、自分がもっと引っ張るべきだった。大学だけじゃなく、中学・高校・大学すべて、「もっと本気で向き合えていたら」未来は変わっていたかもしれない。全国大会にも出場できましたが、「もっと早くから気づいていれば結果は違った」と思います。
こう思い返してみれば本当に後悔しかないサッカー人生で自分に甘すぎたなと感じております。
結局何を伝えたいのか。
「後悔してからでは遅い」ということです。
引退した今思うのは、「もう一度サッカー人生をやり直したい」「もう一度あの仲間と全国で戦い優勝したい」「もっとサッカーを続けたい」。やり切ったなんて1ミリも思っていません。
後悔なく人生を終える人はいないと思います。ですが、後悔をどれだけ少なく終われるかは、自分次第です。
自信を持つことは大事。でも「上手いから努力しなくていい」なんてない。
「上手い奴ほど努力せなあかん」。
そう思ってサッカーしていれば、プロに行けた今でもそう思います。ただ、今言っても「口だけのやつ」になるだけです。
だからこれからプロを目指す人、サッカーをまだ現役の人達、
「自信を持って、誰よりも努力して、後悔を少なくできる生き方をしてほしい」。
必ず道は開けます。
下手で面白くない文章だったかもしれませんが、ここまで読んでくれたということは全部見てくれたというだと思うので本当にありがとうございます。
3年生のいじめっ子代表江上と百々を筆頭に、IPUサッカー部を盛り上げていってください。応援しています。



そして最後。今まで1番近くで支えてくれて応援してくれた家族のみんなありがとう。俺の気持ちを1番に優先してくれて何一つ文句を言わず応援してくれてたお母さん。試合の時には1番応援してくれて落ち込んでいる時には「いぶなら大丈夫や」と常に励ましの言葉をくれてたお父さん。いつも感謝しています。本当にありがとう。家族のみんなが大好きです。俺は恥ずかしがり屋やから直接言えんけど言えるようになります。そしてこれからもたくさん迷惑かけると思うけど立派な大人になるのでこんな僕ですがよろしくお願いします。