大雪の中剪定がはじまってますが・・ | 一風父ちゃんのブログ

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大雪で中断していた剪定ですが、時間に急かせられるように再開しました。高いところは2メートル近いハシゴを使っての作業です。急にハシゴの足が雪の中に沈まないないように安定させるのに一苦労です。私が農業をはじめたころは、降る雪も軽く吹けば飛ぶような実体に感じられたモノでした。しかし昨今の雪は地球温暖化現象のせいか水分を多く含み、木々に積もった雪は強風が吹いてもなかなか落ちません。夜中に畑を見ると木に積もった雪はまるでモンスターが何匹もノソッと立っているようでビックリさせられます。そんな積もった重い雪でりんごや桃の太い幹が裂けたり枝が折れ、次年度の始まりだけに気持ちが削がれます。我が家の桃は樹齢30年、なかなか状況を確めため畑に出かける気持ちになれません。折れてしまったものは仕様がない「楽が一番」と「諦め」の決心がついたとき出かけようとおもってます。年寄りの農業には本当に「楽が一番」なんですが何時までも欲望に振り回されている自分がいます。またところによってはブドウ棚が雪の重みで潰れているのも見かけます。支えている鉄のポールが曲がり一面たいらになっているブドウ畑を見るにつけ他人事ながらウンザリしてしまいます。今年は何を思ったのか(神のおつげけいじ?)、正月が明けると混んだところの枝を切っておいたので、我が家のブドウ棚は難を逃れる事が出来ました。神?の加護に感謝感謝です。それでも今年は2月半ば過ぎると一気に春がやって来て、一気にこの大雪を溶かし春が早いとの長期予防がだされてます。昨年同様春先の冷温の被害が心配されますが、自分の力らでは自然現象をどうすることもできません。しかし今世界を震わせている「トランプ旋風」は皆が声を上げれば、止める事ができないが弱める事ができます。トランプ大統領は就任するやいなや、公約実現と「中東7ヶ国の入国禁止令」と「メキシコとの国境の柵建設令」を発表し世界を混乱させています。それらの地域の実体を何も検証しないまま「悪の枢軸」と断定しての大統領令です。親鸞は「嘆異抄」の中で「人間は他の命を奪い自然を犯さずには生きられない存在である悪人」と言っています。誰かが悪人なのではない自分含めて人間自身が悪人なのです。俺が俺がの「が」ではなくおかげさんの「げ」で謙虚に生きよと諭しています。しかし私達人間は「煩悩(むさぼり いかり おろかさ)」に振り回され益々「悪」を拡大しているのが現実です。この事は社会を仕切る施政者にとって、何時の時代でも大きな課題であり、宗教・道徳・倫理などで社会の混乱を鎮めようとしてきました。地域のそれぞれ在り方・歴史によって、経済の発展で解決しようとする動きと別に、さまざまな国々が存在しています。経済優先の自由主義社会と違いイスラム教・キリスト教等宗教の教えを信じる者にとっては戒律の中での自由であり、それは個人の存在そのものです。また宗教国家にとって国家基盤そのものです。自由主義貿易体制の障害と、単純に自由主義社会の論理を強制することは個人の否定であり国家の否定です。私達の自由主義の押し付けに正当性があるのか、私は疑問に思います。力を盾に強く押せば押すほど反動として過激な対抗(テロ)の論理の正当性を与えているように思います。本来宗教そのもには虐殺の正当性は書かれてないのだと思います。現世に生きる人間の都合です。かの大戦で日本は神のために命を捧げよと多くの若者を戦争にかりたてました。五穀豊穣を願う庶民の心に寄り添う「日本神道」に人を殺す正当性が一体どこに書いてあるのだろうかしりたいものです。感情にまかせず互いの違い認める事・融和が人類の発展であり真のグローバルリズムと思います。今日本には日本文化を知りたくてたくさんの外国人がやって来ています。まさにこの多様性を求める人々の心がグローバルリズムです。グローバルリズムここにありです。政治は片方の論理に与するのではなく、両者の違いの中に接点を見つけ事が使命と思ってます。そう意味では「アメリカファースト」を掲げるトランプ政治はビジネスであって政治ではありません。確かに一極集中のアメリカ貿易は異常です。日本企業も利益第一主義でアメリカにこびるのではなく、格差でもがく若者世代のためにも日本社会発展にもっと目を向けてもらいたいものです。真のグローバルリズムを目指すためにも、グローバルと言う言葉に足をすくわれないように、まず確りと自分の足元を固め「日本ファースト」と行きたいものです。安部政権はさかんにアメリカとの同盟を強調します。それが謂うグローバル社会に向かってのステップなのか疑問です。旧社会党がかって「全方位外交」と唱えてましたが、これこそがグローバルリズムを目指す外交の本質だと思います。今グローバルよりも日本の有り様が問われてます。