一風父ちゃんのブログ

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昨年は3月4月の異常高温でどんな花も一気に咲きだし百花繚乱を呈してましたが、今年は4月に入り雪の舞う日が何日もあり木々の生育も一時停止、花が時間差を持って咲きだしています。つぎつぎ咲いていく様は「花のオンパレード」という感があります。今は桜が満開これからはプルーン・桃・梨・りんごへと移って行きます。おかげさまで仕事の方も段取りよく進んでいきます。花が咲き作立ちの始まりといっても時はすでに4ヶ月が過ぎ作物の取り入れの終わりはほぼ1年の終わりと同じなので、1年の生活の実感の早いこと早いこと年寄りにはなおさらです。たまげてしまいます。人間の感覚は全て自分のおかれた状況によって違うので自分の目線で物事を判断する事には事実と他人の目線とずれがあります。とことん話すにはそれぞれの背景を想像することですが、ほとんど理解せず又出来ないのが現実です。話していてもどこかしっくりこないなと感じることが度々です。今、日韓関係が近年になくギクシャクしていますが、日本の経済・軍事の巨大化が過去の大戦の被害者意識を呼び起しているのかもしれませんが、政治はリーダーの個人的な背景が大です、1人の決断によって人々生活が翻弄されしかも不満は武力でおさえられる法治国家とはいえ最初から脅しありではたまったものではありません。政治に携わる人には、トコトン予断を持たず話し合う姿勢を貫いてもらいたいものてす。平成から令和へと時代が代わりますが、象徴天皇として先の大戦・自然災害被災者に思想に関係なく寄り添ってこられた平成天皇の姿勢を学んでもらいたいものです。人と人の関係はまず聞法が第一です。新しい時代「令和」の令には、広辞苑によれば、めいじること・おきて・よいこと めでたいことなど様々な意味合いを持っているが、けっして命令の令であってもらいたくありません。あくまでも学者が解説する素晴らしい令にこだわってもらいたいものです!
今年も剪定が終わろとしています。人生最終章を迎え「後何年こんな時を迎える事が出来るのか」この瞬間が終わりと思ってもおかしくありません。明日を感じる事の出来る若い時と違いこの一瞬が大切に感じられます。しかし一方でなかなか「これで十分」と感じられないのも現実です。でも私の人生全てを「阿弥陀仏」が確り受けとめてくださると思うと心が落ち着きます。 煩悩多き人間、自力の展開では何時までも「これで十分」はかんじられませんが、最後は「絶対他力」の存在ですね。今畑では剪定で切り落とされた枝を集め我が家では、燃やして炬燵用の炭にします。あちこちで同じように煙が上がります。「俺も終わった俺も終わった」の声が聞こえてきそうです。しかし一方では忙しさの始まりです。来月にはスピードスプレイヤーによる農薬散布が始まりです。低農薬にこだわり始めた頃は、多くても年6回の散布だったのですが今では11回に増えています。生産状況を理解してもらいたい伝えたい、出来たものをありのまま消費者の皆さんに贈ってきたのですが、「私食べる人私作る人」物が私達から離れ自己運動にするにつれ画一性が求められ農薬散布回数が増えてきてます。一歩踏み出すと現実を言い訳になかなか元に戻れない弱い自分がいます。今年は昨年より少し生育遅れているようです。そのぶん今年はゆったりした気持ちでの出発です。また
一昨年は弟昨年は義姉を亡くし新年の挨拶は遠慮させて頂きました。高齢を迎え当たり前の事ですが、なかなか「死」を受け入れ難い現実です。今年は早くから暖冬の予想ですが、今のところ畑には30㎝位の積雪があります。しかしこれからは気温の高い日が続き昨年同様一気に融雪がすすむとか、冬眠中の気持ちが落ち着きません。畑では今年も剪定が始まりました。昨年の木の状態を見ながら初めのうちは、枝1本1本に理屈をつけながら枝を鋸と挟みで切り落としていきます。ホンダの創業者の本田宗一郎氏は「仕事は改善の追及である」と語っています。正にその通りで納得です。今国会では基本統計の不正処理が問題になっています。野党は相も変わらず問題の本質を問わず内閣・担当者の責任論一辺倒。内閣は交わし防戦が仕事と思っている。何故をハッキリさせようとしない。厚生官僚の行為を仕事として善意で考えれば、そこには必ず変更にたいする彼等なりの正当性があるはずです。彼等の正当性についての議論なくしては、なにも問題が改善されません。責任論はそれからです。元来人間の認識は不完全なものです、立場の違いの行為を不正と決めつけるのではなく、改善の過程として考えるべきです。他者とのやり取りでよりよいもの真実に近づけばと思うのですが、考えが甘いですかね。夢物語だろうか。責任論優先の議論では隠蔽体質を生み出すのみです。国会は民主主義の象徴です。民主主義は人間の不完全さを前提に組み立てられた技法と考えます。違いを主張しながら妥協点を見つけより良いものに導く、数の論理で一方を押し付ける事ではありません。今の国会のやり取りは民主主義の体をなしていません。何れにしても基本統計は政策立案の基本をなすもの行政マンのプライドの象徴です。仕事にたいするプライドをかけ、変更について自らの主張をどうどうと述べてもらいたいものです。決して立法(政治家)のしもべではないのです。起て行政マン達よプライドを見せよ!