「今さら何をどうしようと、手遅れでしょうな。ここまでこじれてしまったら、ほどけない。

叩っ斬るしかない。さて啓太くん、難しいだろうが決めなきゃならないみたいだ。

君はお父さんとお母さんのどっちについていきたい? 」
「ママについていきます。パパは独りでもやってける」
 これまた強烈な一撃だった。


「そうだね。それは正しい判断だとおじさんは思う。ママを守ってやんなさい。

そしてお父さん、貴方は自分の息子を愛しているのでしょう? 

だったら死ぬほど働いて、この二人が不自由しないようにしてあげるのが父親としての役目ですよ」
 
 啓太の両親は別々に部屋を出ていった。
 たとえ数分でも一緒にいたくないとでもいうように。
 その後ろ姿を見つめ、啓太は今度は声をあげずに泣いた。
 父ちゃんも母ちゃんもその姿を優しく見つめている。
 僕の家では珍しく、静かな静かな夜が更けていった。



 
 三週間後、啓太はお母さんと一緒にこの町を出ていくことになった。
 別れの朝、啓太は僕の家によって、ゲームを沢山置いていった。
「中古で良かったら使って。僕はもういらないから」
 見たことのあるゲームだ。
「これって」
「そう。一度も開けてなかったやつ。昨日、パパが仕事を休んで一日中、付き合ってくれたんだ。

ごめん、って言ってくれた」
「良かった。ねえ、駅まで見送るよ」
「いい。寂しくなるから。なぁ、僕らいつまでも友達だよな」
「当たり前や。いつまでも、どこに行っても友達。元気でな」


 何度もうなずきながら、啓太はお母さんと手を繋いで歩いていった。
 一度も振り返らなかったのは、きっと泣き顔を見られたくなかったからだと思う。
 だって僕がそうだったもの。
 啓太の姿が見えなくなるまで、僕は手を降り続けていた。

「あなた方が離婚される理由は知りません。知っても仕方ないことですし、

赤の他人がとやかく言うことではない。ただ、私ね、子供が大好きなんですわ。

どんな国でも子供は可愛い。ましてや自分の子の親友は尚のこと可愛い。

あなた方はどうですか。御自分のお子さん、可愛くないですか」
「可愛いに決まってるじゃないですか」
「奥さんの方は」
「可愛くないわけがないでしょ」
「なるほど。お二人とも子供は可愛い、でもお互い同士は嫌いだと。

あのですな、それを知った子供はどうしたらいいと思いますか。

大好きなお父さんとお母さんのどっちが選べと言われて、じゃあこっちって選べると思いますか。

そんな薄情な子供に育てたってんなら話は別ですけどね」
 俯いていた啓太のお母さんが、ぼそっと呟くように声を出した。
「この人の性格にはもうついていけないんです。自分勝手でわがままで、金さえ入れれば家族なんてどうでもいいと思ってる」
「止めろ」
「ほらまたそうやって頭ごなしに怒鳴る」
「お前らには何一つ不自由させてないだろうが。誰のおかげで暮らしていけると思ってんだ」


 立ち上がろうとする啓太のお父さんの前に、湯気を立てたコーヒーが置かれた。
「そのセリフは絶対に言っちゃだめですわ」
「お。嫁はん、今日のコーヒーはキリマンジャロか」
「インスタントです。この味音痴。啓太くんのお父様、今のセリフは奥さんを傷つける言葉ランキング第一位ですよ」
「んなランキングあるんか」
「今作りました」
 こんな時に夫婦漫才始めてどうするんだろ。


「ふざけてる暇はありませんので、これで失礼します」
「待って。こちらの奥様のおっしゃる通りよ。

偉そうなことばかり言って、今年になって貴方が啓太と遊んだのは何回? 

啓太が言ってたわ、真吾くんはお父さんと自転車で琵琶湖一周したんだよって。すごく羨ましいって」
「俺は忙しいんだ、そんなことする暇があるか」
 なんだこの人。まるで僕の父ちゃんが暇でしょうがないみたいな言い方して。
「あら、うちの旦那が暇でしょうが無いみたいな言い方ですわね。

この人ね、あの日は夜勤明けで一睡もせずに自転車にまたがったんですよ。

一周した翌日も普通に仕事に出ました。仕事を言い訳にする男ってほんと最低」
 母ちゃんの隣で照れ臭そうに父ちゃんが頭を掻いている。
 啓太のお父さんは黙り込んでしまった。
「まあ、そのぐらいしかしてやれんのですよ。うちは貧乏なんでね、何も買ってやれないし、

何処にも連れて行ってやれない」
「そ、その代り俺は啓太に何でも買ってやった。ゲームだって最新のやつを」
 今まで黙っていた啓太がその言葉に反応した。
 拳がぶるぶる震えている。頬が真っ赤になって、ものすごい目でお父さんを睨み付けた。
「ゲーム。ゲームか、ははは。ゲームは楽しいよね、すごく楽しい。色んなことを教えてくれるし、

笑わせてくれるし、泣かせてくれる。お休みの時も一日中付き合ってくれる。

なんだ、ゲームの方がパパなんかよりずっと家族じゃん」


 強烈だ。

 啓太のお父さんは、ぽかんと口を開けたまま銅像みたいに固まってしまった。
 お母さんの方は、何とも言えない寂しげな顔で啓太を見守っている。
 僕は、啓太の部屋で開封もされずに山積みにされたゲーム達を思い出した。
 啓太はお父さんと遊びたかったんだろうな。
 それを思ったら、僕も泣けてきた。
 部屋を沈黙が包んだ。啓太の悲しみが胸に刺さる。誰も、次の言葉を出せずにいた。
 父ちゃんがゆっくりと立ち上がると、静かに言った。

 正直に言うと、啓太の両親には僕も頭にきている。

 なんでこんなに優しい啓太が泣かなきゃならないんだ。
「ささ、どうぞどうぞ。今ちょうど夕飯時でして。安い肉ですがたっぷりありますんでね。一緒に食べましょう」
 父ちゃんが先に立って部屋に入ってきた。良かった、笑っている。
 その後に啓太のお父さんとお母さん。二人ともむすっと黙って啓太をにらみつけた。
「いえ、私どもは。さぁ啓太、帰るぞ」
「そうよ啓ちゃん。お母さん心配したわ」
 啓太はうつむいて黙っている。代わりに僕が言った。
「啓太くんは今夜泊まっていきます。帰ってください」
「君は黙っててくれるかな。自分の子供のことを赤の他人にとやかく言われたくない」
「えらそうなこと言って、あんたらが離婚するから啓太がどれだけ悩んでるか分かっとんか」
「なっ、なにを子供のくせに分かったような口を」
「大人のくせに何もわからんよりマシや」


 ぱちぱちぱち。
 父ちゃんが拍手しながら間に割って入った。
「おー、若様すげえ。今の返しは百二十点や。そやけど、目上の人に対して言う台詞やないな。

そこんとこはきちんと謝っとき」
 父ちゃんの目が優しかった。その目が、この場は任せとけって言ってるように見えた。
「すいませんでした」
 僕は素直に引き下がった。父ちゃん、行けっ!
「それと失礼ながら貴方。子供のくせに分かったようなと言うのは傲慢と言われても仕方ありまへんで。

まぁとりあえずテーブルにつきましょ。立ち飲み、いや違うわ立ち話ってのはどうも落ち着かん」
 啓太のお父さんとお母さんが並んで座った。何故か啓太は僕達の家族側に座っている。


「まあ一杯どうぞ。発泡酒で悪いですが」
「いえ。結構です。さっさとお話を終わらせて連れて帰りますので」
 啓太のお父さんを無視して、父ちゃんはグラスを空けた。
「ぷふう。美味っ! あのね、お父さん、お母さん。啓太くんの顔を見て何か気づきませんか」
「何かって……」
「別に何もないんじゃないですか? 」
 父ちゃんは深い溜息をついた。
「やれやれ。己の子が、ついさっきまで声をあげて泣いてたら分かると思うんやけどなぁ」
 父ちゃんに言われて、二人はじっと啓太の顔を見詰めた。
 先に認めたのはお母さんの方だった。
「言われてみれば」
「すまんな啓太くん、恥かかすような真似して。そやけど言うとかんと、この人ら分からんわ。

啓太くんね、私らと一緒にご飯食べてて、こう言って泣いたんです。

僕、こんなに楽しいご飯って無かった。パパもママもいつも黙ったままで、話を聞いてくれない」
 そこで一息入れて、父ちゃんは母ちゃんにコーヒーを頼んだ。

「それなに? 」
「サムアップっていうんだ。成功とか任せとけって時に使う」
「じゃあ僕も」
「はい、そういうことで。事情は啓太くんから聞きました。その件についてもお話しさせて貰いたいので」
 何度も何度も電話機に頭を下げ、父ちゃんは話を終わった。
「さて、晩飯は何にする? 母ちゃんにメールしとくわ」
 
 笑顔で帰ってきた母ちゃんは、父ちゃんを手招きするとメール画面を見せながら訊いた。
「何これ。『今晩、啓太君が泊まる。晩飯は焼き肉とビールがいいそうだ』

啓太君、ビールはラガーでいい? 」
「え、ええっ? 僕、お酒なんか飲めません」
「はい、ビール却下」
「あぁん。発泡酒でいいからぁ」
 買い物袋を下げた母ちゃんの後をこそこそ付いていく父ちゃんを見て、僕らは笑った。


「おじさんっていつもああなの? 」
「残念ながらね」
「いいなぁ。ほんと、うらやましいよ。勉強しろとか、あまり言わないんじゃない? 」
 言われて僕は思い返してみた。
 そう言えば、普段から父ちゃんはあまりうるさく言わない。
 一度だけ訊いたことがある。どうして、やかましく叱らないのかって。
「あ? なんでって言われてもなぁ。父ちゃん、あんまり勉強せぇへん子やったからな。

自分が出来なかった事を勧めるわけにはいかんやろ。

それに、キンキンに張り詰めた糸はすぐに切れてしまうしな。

と言うて、父ちゃんみたいに緩みっぱなしってのもどうかと思うけどな」
 そうやって何も言われないと、かえって不安になるもので、僕は一生懸命勉強にはげんでしまった。
「それってさ。おじさんの罠のような気もするけど」
「間違いなくそうだと思う。ややこしいんだよ、あの人は」


 結局、父ちゃんは発泡酒を買ってもらったみたいで、満面の笑顔で帰ってきた。
 いつもは三人、父ちゃんが夜勤の時はたった二人の食卓に、今日は友達がいる。
 ただそれだけのことが、こんなに楽しい。
 父ちゃんはいつにも増してバカな話をするし、母ちゃんもそれにツッコミを入れるし、食べるのと笑うので大忙しだ。
 それなのに、啓太が突然、涙をこぼした。
「どうした、啓太くん。舌でも噛んだか」
「違うんです。僕、こんなに楽しいご飯なんて無かったから。

パパもママもいつも黙ったまま、僕が学校であったこととか話しても、二人とも聞いてくれないし」
 話しているうちに、たまっていた思いが湧きだしたんだろう、啓太は声をあげて泣き始めた。
 痛々しげに見守る母ちゃんの横で、父ちゃんがぽろぽろと大粒の涙を流している。
 その時、電話が鳴った。
 父ちゃんが大急ぎで涙を拭き、受話器を取った。
「もしもし、前田ですが。……あ、はいはい。そうです。スーパーの裏の道を真っ直ぐ。

お寿司屋さんの横を入ってもらって一軒目です。お待ちしてます」
「父ちゃん、今の啓太の」
「そや。ここに来てもらう」
「だって今日は泊めてあげるって」
「それは約束する。ただ父ちゃん、啓太くんのご両親にどうしても言いたいことがある」
 やばい。喧嘩するつもりかもしれない。この間のことでよく分かった。
 父ちゃんは子供が絡むと本気で怒る人なんだ。
 啓太の顔も青ざめている。
 すぐ近くから電話してきたらしく、待つほども無く玄関のチャイムが鳴った。
「よっしゃ行くか」
 父ちゃんが自分の頬を叩いて気合いを入れた。
 立ち上がって玄関に向かう。仕方ない、後はなるようになれだ。

「どっちと一緒に暮らしたい? 両方ともに決まってるじゃん。

大人って、そんな簡単なことも分かんないんだよ」
 その通りだ。どっちか選べるわけがない。
「今日さ、おまえん家に泊めてくれないかな。しばらく帰りたくないんだ」
「分かった。父ちゃん、今日は夜勤明けで家にいる日やから頼めるわ。大丈夫、断れない方法があるから」
 僕は家に着くと、啓太を連れて自分の部屋に入った。
 引出しから、父ちゃんの何でも券を取り出す。
『啓太くんを家に泊めてください。』
「な? これで大丈夫。父ちゃんはこの券に書かれたことを絶対守ってくれる」
 居間に行くと、父ちゃんは例によってヘッドホンからアイドルの歌を漏らしながら、

 パソコンに向かっていた。
 さっきまで落ち込んでいた啓太が、ぷっと吹き出した。
「おじさん、なんであんなの聴いてんの? 」
「ファンなんだってさ。実はファンクラブにも入ってる。父ちゃん、とーちゃん」
 背中をつつくと、父ちゃんはヘッドホンを外して振り向いた。
「おおっ! 父ちゃんの背後を取るとは、なかなか腕を上げたな。ん? 啓太くんも一緒か。仲良く遊べぃ」
「父ちゃん、お願いがあります。はいこれ、なんでも券」
 父ちゃんは、あちゃぁーっ、きたかーと笑うと、券をまじまじと見つめた。
「なんやこれ? 啓太くんを家に泊めてください? なんのこっちゃいな」
「読んだままだよ。啓太くんを家に泊めてもいい? 」
「そら全然かまへんけど。向こうの御両親の許可は取ってあるんか? 」
 どうしよう。散々迷ったあげく、僕は正直に話した。
 聞き終えた父ちゃんは、頭を抱え込んだ。
「なんとまぁ……。そんなもん子供に選べるわけないがな」
 良かった。父ちゃんも僕らと同じ考えだ。
「啓太くん、とりあえずおっちゃんがお家に電話するわ。番号教えて」
 父ちゃんは受話器を持ったまま、深呼吸した。
 珍しく緊張しているようだ。
「はぁ。緊張するわ。高校生ん時に大好きな女の子に電話したのと同じぐらい緊張する。あ、つながった」
 受話器越しに啓太のお母さんの声が聞こえた。
「もしもし。あ、私、前田と申します。今ですね、お宅のお子さんを預かってまして。いやいや、落ち着いてください、誘拐とかそんなんじゃないです。誘拐犯は名乗ったりしません」


 何言ってんだろ。僕と啓太は笑いをこらえるのに必死になった。
「啓太くんはうちの息子の友達でして。でね、どうしても今日、うちに泊まりたいと言うてはるんですわ」
 父ちゃんは話しながら僕達を見た。僕達は声にならない声援を送った。
「ああ、それは全然大丈夫ですよ。大した物は作れませんけどね、栄養重視してますから。はい……はい、御主人がお帰りになったらお電話ちょうだいできますか? メモ、よろしいですか」
 父ちゃんが電話番号を伝えながら、拳を突き出した。
 親指だけを上にあげ、僕に合図する。
 僕も真似した。