『麒麟がくる』大河ドラマ館をめぐる旅 その2、恵那市明智の大河ドラマ館 | みののかみのブログ アメブロ版

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岐阜市の大河ドラマ館を観た翌12日、

朝5:41発の始発バスでJR岐阜駅へ出て、🚌

可児市恵那市の大河ドラマ館を観に行った。

降り立つ駅は、奇しくも同名の、

可児市明智駅恵那市明智駅

明智駅から明智駅へ移動する旅となる。

 

朝早く出発したのは、

午後5時の大河ドラマ館閉館までに

出来る限り見学時間を作りたかったため。

ただ、そのために、

可児市の大河ドラマ館へ先に行く場合は

午前9時の開館時刻より

かなり早く到着してしまうことになり、

遠い恵那市の大河ドラマ館

先に行くことにした。

 

恵那市明智町へ向かうには、

まず名古屋駅へ出てJR中央本線に乗り換え、

恵那駅明知鉄道線に乗り換える。

明知鉄道線は、

恵那駅発9:13の明智行きしか

利用出来る列車が無いため、

名古屋駅発JR中央本線の電車も、

7:45発の快速

あるいは8:00発の特急に乗車すれば

恵那駅での乗り換えに間に合う。

しかし、恵那駅での乗り換え時間が少ないと

明知鉄道線のきっぷを購入する時間が

限られて難儀すると思い、

JR岐阜駅6:37に出て名古屋駅へ向かい、

名古屋駅7:15発快速恵那駅へ向かった。

 

恵那駅には8:23に到着し、

明知鉄道線への乗り換えまで出来た

50分近くの間に、

明知鉄道の恵那駅の窓口で

大河ドラマ館の入場券付きの

恵那駅⇔明智駅の往復乗車券

(恵那駅⇔明智駅の往復運賃と同額で、

大河ドラマ館入場券代がサービスされていた)

を購入して、

さらに残った時間で、

恵那市明智駅から可児市明智駅

移動する行程を考えた。

スマホの乗換案内アプリでは、

明智駅11:27発の急行列車に乗車して

恵那駅へ戻ってきたら

12:31発のJR中央本線快速に乗り換え、

多治見駅で下車してJR太多線に乗り換え、

さらに可児駅で隣接する名鉄新可児駅へ移動し、

名鉄広見線に乗り換えると表示されたが、

多治見駅で、JR太多線への乗り換えに

50分も時間が出来てしまうと分かった。ガーン

多治見駅のホームで何もすること無く

50分間を過ごすのは嫌で、

一度改札外へ出ても運賃のロスは出ないか、

恵那駅から多治見駅の運賃と

多治見駅から可児駅の運賃を調べてみた。

すると、多治見駅で一旦改札外へ出て、

多治見駅から可児駅までのきっぷを買ったほうが

30円だけだが安いことが分かった。グッド!おねがい

そこで多治見駅で一度駅の外へ出ることにして、

一応空腹対応に軽食を買って、

明智駅へ向かうべく、

明知鉄道恵那駅のホームへ移動した。

明智行きの下りが発車する10分以上前だったが、

ホームには1両の車両が入線していて、

名古屋駅を7:45以後に出た

快速電車や特急電車で来た乗客が多いのか、

乗車すると座席はかなり埋まっていた。

 

明智行き下りは、 恵那駅発車後、

定刻どおり10:03に明智駅に到着し、

市街地を挟んだ丘の上にある

大河ドラマ館会場の大正浪漫館へ歩く。🚶 

明智駅の敷地から

大河ドラマ『麒麟がくる』 ゆかりの地として

幟旗が無数に設置され、

明智光秀生誕地を主張するものもある。

明智光秀は、その桔梗の家紋が示すように
美濃国守護大名の土岐氏の支流を自認している。
恵那市明智町は、紛れもなく、
この地の豪族の遠山氏が支配していた土地で、
光秀の母親のお牧の方の墓所があることから
母親の関係の地かなと思ったが、
明智の遠山氏と光秀の関連は分からない。
遠山氏は、鎌倉幕府が成立した頃に
源頼朝の重臣の加藤景廉が
美濃国恵那郡の遠山荘を与えられ、
以後子孫が地頭として遠山荘に根付いた。
中世を通して、岩村の本家を中心に、
遠山荘内各地に分家が居住し繁栄したが、
戦国時代になると
甲斐武田氏と尾張織田氏による
東美濃争奪戦に翻弄されて、
岩村の本家は武田氏・織田氏の双方に攻撃され、
武田氏・織田氏双方から
一族や重臣を送り込まれた挙げ句に滅亡し、
分家もみんな滅亡あるいは離散した。
織田信長が武田氏を滅ぼして
東美濃全域が織田領になると、
遠山荘の一帯は、
信長重臣の森長可・蘭丸兄弟の領地となり、
慶長5年(1600年)に
森兄弟の末弟の忠政が信濃川中島へ移されると、
代わって田丸直昌が岩村に入った。
一族離散した遠山氏は、
明智と苗木(中津川市苗木)の遠山氏が
徳川家康のもとに逃げていて、
関ヶ原の戦いで田丸直昌が西軍に付いたことで
明智と苗木の遠山氏は、家康配下として
それぞれの旧領を攻撃して奪還した。
苗木遠山氏は一万石の大名になったが、
明智の遠山氏は旧領全部を回復せず、
旗本としてこの明智を治めた。 
明智遠山氏は、
その後一国一城令で陣屋住まいとなり、
さらに江戸定府(領地に帰らない)となって、
家臣を代官として
明智(江戸時代中期に「明知」と改称)に
派遣するのみになった。
なお、この明智遠山氏の分家で、
名江戸町奉行として知られる
遠山金四郎景元が出ている。
 
明智の地は、明智光秀ゆかりの地というより
遠山の金さんゆかりの地という方が正しいのだが、
今年1年間は明智光秀のウェイトが大きいと思う。
 
大河ドラマ館会場の大正浪漫館は、
明智(明知)遠山氏の陣屋の敷地内で、
建物のすぐ前に、陣屋遺構の池があり、
「明知陣屋跡」の説明板が建てられている。
 
大河ドラマ館会場の大正浪漫館へ。🚶
 
入場券を見せて入館すると、
出演俳優の等身大写真パネルは
岐阜市の大河ドラマ館とは違い、
光秀の母親のお牧の方(石川さゆりさん)と
叔父の明智光安(西村まさ彦さん)だった。
この恵那市の大河ドラマ館は、
思ったより小振りで、
登場人物や撮影の紹介のほかは、
甲冑が一揃え展示してあるのみだった。
逆に、日本大正村として観光に慣れているのか、
土産物の販売は充実していて、
明智光秀のイラスト入りの
明知鉄道沿線の岩村と山岡の名物がコラボした
「寒天かすてら」があったので、土産に購入した。
また明智光秀関連のグッズもたくさん揃い、
桔梗紋のクリアファイルやタオルも
気に入って購入した。
 
その後、
明智駅11:27発の急行列車に乗車すべく
大正浪漫館を後にして、
明智の市街地を戻った。
戻り道では、「大正路地」を歩き、
大駐車場に隣接する「大正浪漫亭」をのぞき、
再度土産物を物色した。
大正浪漫亭では
名物のソフトクリームを販売していたが、🍦
ソフトクリームは、
おじいさんと孫で食べないと意味がない。」と
ダジャレ(祖父とクリーム)を考えついたのみで
買わなかった。
 
その後、
大駐車場の向かいのバローに立ち寄り、
昼食になるかもしれないとおにぎりを買い、🍙
バローの隣のドラッグストアが隣接している
明智駅のロータリーへ歩き、
11:27発の恵那行き急行列車に間に合った。
急行列車は2両編成で、
先頭車両は明智光秀ラッピングの車両。
しかし車内の様子が一般車両のようではなく、
車内全体に長机が並び、弁当が並べられていた。
そして車内には、
調理・仕出し担当らしき女性が2人座っていた。
車両を見ていると、駅員から
「この車両には乗車出来ません。」と言われた。
ドア横の “サボ” に「じねんじょ列車」とあり、
予約制でじねんじょ弁当を食べる車両の様子。
明智駅ではじねんじょ弁当を積み込んだだけで、
恵那駅での折り返しの便で車内営業を行うと、
恵那駅まで行ってから分かった。
この明智光秀ラッピング車両の後ろに
バローのラッピング車両が連結されていて、
急行列車の一般車両は
このバローのラッピング車両だった。
そういえば、1年ちょっと前に乗車した
兵庫県の北条鉄道でも、
サンタ列車として、
1両まるまる貸切の車両が連結され、
一般車両は後ろの色違いの車両だったと
思い出した。
 
 
明智駅急行列車で11:27定刻に出て、
50分ほどで恵那駅に到着し、
JR中央本線に乗り換える。
きっぷは多治見駅までの分を買い、
12:31発の快速電車に乗車して、
多治見駅で下車し、改札を出た。
乗り継ぎの50分間を
改札の外で過ごした方が良いと思った判断だが、
駅の周囲に大きめの飲食店が無い多治見駅では、
駅の北口と南口を両方歩き回ったのみだった。
そして改札口のすぐ前にある
ベーカリーカフェの「ヴィ・ド・フランス」で
ソーセージのトルティーヤ巻きを見つけて買い、
可児駅までのきっぷを買って改札内に入り、
発車20分前からホームに停車していた
JR太多線の岐阜行き普通列車に乗り込んで、
普通列車ながら急行以上のシートの車内で
買い込んだ食料品を食べて発車を待った。🥖