名鉄八百津線廃線跡を訪ねる その2, 中野~兼山口 | みののかみのブログ アメブロ版

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史跡および日帰り天然温泉の訪問記が殆どと成り候

中野集落を通る町道を眺める限り、
八百津線の線路跡をどのように利用したかは判別出来ない。


 
町道は、南西方向に延びた先で山裾に突き当たり、
同時に、木曽川に近いところを走っていた中野集落の道路と
山沿いに東西に走っている県道と順番に交差して終わる。


線路跡はどう延びていたのかと探したが、
交差点より手前に遺構は見当たらない。
しかし、
山裾に遺構が姿を現していた。


線路は山沿いに延びる県道をオーバークロスしていて、
県道の南側だけにその橋台が残っていた。
反対側の橋台は、
町道の拡張整備時に築堤ごと取り壊されてしまったのだろう。
その町道の位置にカーブした築堤と橋台があったことは、
廃線翌年の状況を調査した先達のサイトでも確認出来た。
 
線路跡は橋台から南西方向へ延び、
取り壊されず、線路を剥がされ “自然に帰る状態” になっている。
橋台のすぐ先で可児市兼山町(旧・可児郡兼山町)に入るが、
この先、兼山町内では、
線路跡の他用途への転用は大部分見られなかった。
小川を通すコンクリートのアーチはそのまま残り、


線路跡の築堤は緩やかな勾配で下っている。

 
兼山町は、
金山烏峰城の城下町と木曽川の川港から発展した商業都市。
木曽川沿いの全長3kmほどの河岸段丘に発展した市街は、
御嵩町域と八百津町域に挟まれた東海地方で最小面積の町で、

明治時代以来単独町制を敷いてきたが、

平成17年(2005年)に可児市に合併した。

八百津線の線路は、
市街地と山の境目に敷設されていた。
旧兼山町域の北東側1/3ほどは、
線路跡の南側にも宅地や工場が建っているが、
南西側の2/3ほどの、兼山駅を過ぎたあたりから先は、
金山烏峰城の城山が市街地の段丘に迫っているため、

八百津線の線路は市街地から一段高い山腹に延びていた。


山が線路跡に迫っていない北東側1/3ほどには、

線路跡の南側にピッタリ沿って道路が延びている。

線路跡はほとんど転用されず残されているが、
沿線の工場の線路敷利用のため舗装された箇所もある。



その先の兼山駅跡は、
八百津線の中間点の、
列車がすれ違う主要駅だったが、
線路が剥がされた現在は、
駅の敷地がそのまま全面芝生の広場になっていた。


この敷地の中にホームも駅舎も職員詰所もあったのだろうが、
建物がほとんど無い広場になると、
コンパクトな構造の駅だったのだなと感じる。
そして駅跡を記念した広場に変わったのは良かったと思ったが、


鉄道と関連付けた機関車・列車型の遊具や

線路を模ったモニュメントがあれば良かったと思ってしまった。

兼山駅跡の先は、線路は高さ2mほどの築堤で続いていた。


石垣の擁壁が見事に残る。

橋台も見事に残る。

 

兼山駅跡から300mも行かずに、

金山烏峰城の城山が線路の南側に迫り、

八百津線の線路はトンネルに入る。

線路跡は築堤上から立ち入り禁止
でトンネル内には入れず、
トンネル坑口に最接近出来るところから眺めるしかなかった。
そして山裾に公道も無いので、
兼山の街並みに出て、しばらく街道を歩いた。

 

市街地の「西念寺」と「常照寺」の間に、

城山の反対側へ入っていく県道381号線が延びていて、
街道から線路跡まで行ってみる。
八百津線線路はトンネルを抜けて谷を跨ぐが、
廃線になったのだろうか??と目を疑いたくなるような

コンクリートの立派な高架橋が道路の上に架かっていた。


こんな立派な高架橋だが、

上を走る列車がいないのはとても寂しい。
道路の先には市立兼山小学校と、小さな団地と、

そして金山烏峰城跡の登城用の駐車場があり、
高架橋は道路の建設と同時に造られたのだろうが、

線路用として使用された期間が短かったのは明らかだ。

線路跡のすぐ下に街道に面する寺院や民家の建物があり、
線路跡に沿って延びる公道は無く、

線路跡沿いをたどれないが、

寺院の駐車場から線路跡を見ると、

山崩れ防止の施工が線路跡の背後に築かれてあった。


山と木曽川の間の細長い河岸段丘に開けた兼山の市街地。

山肌が崩壊したら町はひとたまりもないので、

厳重にコンクリートの壁が築いてある。

線路跡は山崩れ防止施工の外側にあり、

かろうじて線路跡が残っていることが分かる。

なお、この山崩れ防止施工のあたりに、

昭和19年(1944年)まで城戸(きど)駅があった。

金山烏峰城への登城口という意味の「城戸」である。

 

街道を、兼山市街地の南はずれの、
東海環状自動車道の大きな橋梁のすぐ近くまで歩く。


東海環状自動車道のすぐ近くの

「貴船神社」の南から線路跡へ、階段が延びていた。


東海環状自動車道は、現在4車線化の工事中だが、

線路跡をオーバークロスする付近には

進入禁止の柵も規制線も無く、
また日曜日のためか無人で、

線路跡を歩いてたどれた。
 

東海環状自動車道を越えたところにアパートが2棟建っていて、

その出入口になっているところが兼山口駅の跡だった。

(駅跡の南側より。)

名鉄の廃線跡は、

ずっと名鉄本社が所有したまま転用していない線路敷が多く、

名鉄所有として進入禁止となり、

線路のバラストがそのまま残っていたり

雑草が生えていたりする箇所が多いが、

この兼山口駅の跡には舗装道路があり、

進入禁止にはなっていない。

ただ、駅跡に建つ公衆便所と自転車置き場が

地元自治会の管理なのか気になった。