名鉄美濃町線廃線跡を歩いてたどる その3、北一色~日野橋 | みののかみのブログ アメブロ版

みののかみのブログ アメブロ版

美濃国出身・在住のみののかみが日々気付いたこと・感じたことを書き出すもの也

史跡および日帰り天然温泉の訪問記が殆どと成り候

北一色電停跡の先、

名鉄美濃町線の併用軌道があった旧国道156号線は、

各務原市北部へ通じる県道205号線(おがせ街道)を分ける。

さらに、

北一色電停跡から約700mの地点で美濃町線跡から離れる。

漢方専門薬局の前を過ぎてすぐに、

美濃町線の線路敷が旧国道から北東方向へ分かれて行く。

写真のガードレールと「→」表示の地点で、

草生した線路敷が旧国道から離れて家々の間へ進んでいる。


この専用軌道が始まる地点の辺りは、

建物の間に田畑が見られるようになり、

マンションや商業ビルもまばらになる。

徹明町から3~4kmほどで、風景は郊外に変化し始める。


専用軌道になると、完全並行の道は無くなる。

地図で線路跡に接近する道を探し、

多少大回りでも線路跡に接近する道路へ歩いて行く。


白いガードレールに沿った道を進むと、

美濃町線跡の線路敷は、

雑草をきれいに処理し砂利敷状態に戻された区間となる。

線路敷は、公道と交差する部分以外は名鉄の所有地のままで、

立ち入れないように囲ってある。

そしてこの区間のすぐ先に野一色(のいしき)駅跡がある。

全線単線の美濃町線で、

上下列車のすれ違いを行っていた野一色駅。

ホームが上下線ともに残存していて、

一部崩れた部分も見られるものの、

電車運行当時のホームの形はそのまま残っている。


野一色駅跡の先、廃線跡は再び、

住宅地の中を線路と架線が取り払われただけの状態で延びる。





並行していない沿線の道路は、

途切れて廃線跡を横断出来なかったり、大きく方向が外れたりしている。

それでも地図を見ながら美濃町線跡にアタックを繰り返すと、

「野一色白山神社」の参道に出た。

旧国道に面した一の鳥居と神橋より本殿寄りに線路跡が通るが、

真新しい石燈籠の位置にびっくりしたビックリマーク

参道両側の2基の石燈籠が、

まともに美濃町線の線路敷跡に建っていたのだ!!

ああ、これでは、美濃町線が復活となったときに、

線路を再敷設出来なくなってしまうあせると思ったが、

神社側からしてみれば、

鉄道が無くなったからには参道を境内として確保したいだろう。


野一色白山神社を過ぎると、

美濃町線跡は旧国道156号線に接近し、完全並行となる。

線路の北側は山で、山腹に分譲団地が造られている。

そして分譲団地が途切れる先に、琴塚駅の跡がある。
 


琴塚駅跡もまた、ホーム跡が見事に残っている。

旧国道に下りる階段もいつでも使える状態。
    

また、駅ホームの西には、

開業以来の遺構と思われる線路敷盛り土の石垣とレンガ敷も見られる。

 

こういう遺構は、年が経てば経つほど価値が出てくるので、

ずっと崩壊せずに残ってほしいと思う。


駅名の琴塚は、この辺り一帯の地区名だが、

駅跡の南東にある岐阜市内最大級の古墳の名称が元となっている。


線路と架線が無くなっただけの状態で続いていた美濃町線跡だが、

琴塚駅跡の先で、線路跡は途切れてしまう。

美濃町線の廃止後、旧国道の歩道が広く整備され、

線路跡が無くなってしまったのだ。

 

そして隣接する山が旧国道から離れると、

歩道は線路跡を完全に取り込んだまま広い幅で続いている。
    

線路跡は見られないが、歩くには申し分ないゆったり感がある。


この広い歩道のままで、日野橋駅跡へと続いている。

日野橋駅跡の手前には、

駅名の由来となったと思われる古い橋と歩道橋がある。

日野橋駅の跡。

日野橋駅跡の立地は、

旧国道156号線の道筋に四方の谷間から道路が集中していて、

道路交通の結節点となっている場所。

周囲の山沿いには分譲団地がたくさん広がり、

美濃町線廃止直前まで、駅を通勤通学に利用する人は多かった。

また南東の各務原市域には東海学院大学もあり、

学生街という側面も併せ持っている。

もし、美濃町線が近代化された鉄道に生まれ変わっていたなら、

日野橋駅は、その立地から、

準急以上の速達列車が必ず停車する主要駅になっていたと思う。
鉄道が無くなってしまった現在、

山沿いの分譲団地の住民は高齢化しており、

今一度、交通機関の結節点として再注目し整備すべき土地だと、

ゆっくり歩いてこの駅跡を通過して思った。