今日はガッツリクラシックの話題。
年末の忙しい最中、非常に専門的な話で、長文なのでお急ぎの方はスルーされた方が良いかもしれない。
但し、チェロに関しては門外漢なので勝手な話となるかもしれないのでご容赦。
チェロの教則本と言えば、有名なものはウェルナー。
これに関してはあちこちで紹介してあるだろうし、多くの人が使っているので省略する。
一般的な音楽関係の書籍を扱うところでも置いてあり、僕も取り敢えず、最初にウェルナーを購入してみた。
コントラバスのバイブルと言われるシマンドルと比べると左右のテクニックのバランスが良い気がするし、2重奏で練習をする構成も素晴らしい。
しかし、恐らく初級の部分だと思うが、二週間程で、ハ長調の1ポジションを終わって1,2の拡張が出てくるト調まで来たが、ここまでで微妙に幾つかの不満が出てきた。
先ず、エチュードのセンスが悪い。
これはメソードを書く人間の才能なので仕方ない部分はあるが、コントラバスのシマンドルにも共通する点で、やりたいことは何となく分かるのだが、それをやる為のエチュードのセンスが悪いと繰り返し練習したくなくなる。
まあ、要するにフレーズが稚拙なので弾いてて嫌になるのだ(笑)
特に、前半は1ポジション中心に作られている為、初心者には悪くないが、ある程度楽器を経験している人間が眺めると内容の進行感がイマイチに感じられる。
左右のバランスが良いと思っていたのだが、早い段階で唐突にアルペジオの動きや重音の練習がちょっと出てきたりする割に、然程意味を感じられない。
簡単に言えば中途半端なのだ。
既に、30年以上コントラバスを弾いて来て、幾つかメソッドも見た経験からすると、この進行感が自分にはイマイチ合わない感じがして来た。
チェロの世界には、僕も知っているようなメソッドや練習曲で有名な人が何人かいる。
僕が知っているのはドッツアウァー、リー、ポッパーと言う三人だ。
ドッツアウァー、リーは若い頃、コントラバスのプログレッシブエチューでもやったので、IMSLPを探してみるとこの三人の練習曲がパブリックドメインで上がっていた。
ちなみに各人の生没年は以下の通りだ。
Friedrich Dotzauer (1783–1860)
LEE, Sebastian (1805–1887)
David Popper(1843-1913)
年代から言えばドッツアウァー、リー、ポッパーと言う順になるので、先ず、最もテクニック的に新しいポッパーの「15の初級の練習」を開いて最初の曲を弾いてみた。
チェロを触って2週間ほどだが、既にこのくらいなら初見でも弾けるレベルになっている(^^)
弾いてみると
「お~中々旋律的では無いか!エチュードとは言ってもこのくらいじゃないと駄目だ」
とは思ったものの、数が15と少ない為、各曲の進捗度合いの差が大きく、今のレベルでは弾けない曲が多い為却下した。
ドッツアウァーは年代が最も古いので技術的にどうなのかな?と思ったのと、コントラバスの時も如何にもドイツ的に「ガッツリ練習しなはれや」と言う要素が多かった為、あまり好きじゃかった記憶があってスルーした(笑)
幾つか見ていて発見したのが、セバスチャン・リーの「Violoncello School 」
こう言うのが僕の探していたメソッドで、すぐに現在出版されている印刷版を探したのだが割りとお高めで輸入モノしか無い。
ドイツ語、ロシア語、フランス語の説明しかないので説明部分は何となくしか分からないが、楽譜は理解できるので取り敢えずIMSLPで上がってる物をダウンロードした。
僕がウェルナーで一番引っ掛かっていたのが、最初の段階で調性に即したフィンガリングの説明が無い事。
弦楽器に関して全くの初学者では無いので、要するにチェロに関する「ざっとした解説」が欲しいのだ。
ウェルナーに関して最初に書いた「センスが無い」と言うのも無理は無く、ハ長調だけで、ある程度進行させてしまう為に、エチュードややる事にも無理が出来て当然だとは思う。
特に、コントラバスと違って、チェロ以上の楽器は当たり前に拡張フィンガリングが出てくる割には、延々とハ長調をやった後のト調でやっと拡張フィンガリングが出てくるくらいで、その出現が遅く、調性の進行も遅い。
大半は楽譜の読めない初心者が取り組むと言う点を考慮しているのだと思うが、ある程度経験者からすると、非常に変な進行だ。
以前も書いたが、その上1ポジションの後は4ポジションとなるのも理解できない。
コントラバスの場合は完全にハーフポーションから順次上がっていく順番になっていて、その点、このリーのメッソドはそれに近い構成になっていた。
始めの部分はウエルナーと大差なく、簡単に基本的な説明やボウイングがあるが、ハ長調のスケールが出てくるとすぐに3度→10度までの動きが最初にまとめて出てくる。
そして、その後の進行がキモで、♯二つ♭二つまでを長調短調で各調に1~2個のエチュードを挟みながら説明をする。
長調と短調がペアで出てくるのはやはり音楽的には普通だ。
ハ長調で二つほどスケールや三度などが絡んだエチュードが出てくると、すぐにイ短調になり、ここですぐに拡張フィンガリングが出てくる。
ウェルナーでそこまで到達するのに数十ページを要しているが、リーの場合は僅か数ページだ。
素晴らしいのは二つまでで終わっている点(笑)
つまり、ざっとチェロのフィンガリングのメカニズムを4つの調性で説明して、その後は、それらの簡単な調性で様々なテクニックを身につけさせると言う方向性が良い。
4つも調性をやっているので若干転調も含んでいる為エチュードと言ってもかなり旋律的だ
ある程度進行した後、再び第六ポジションまでの説明が入り、既にやっている♯二つ♭二つの範囲である程度エチュードをやり、その後徐々に調性が複雑になって行き、この途中で、様々なテクニックを身につけさせると言う構成だ。
重音の練習などは、ウェルナーと比較するとかなり後から出てくるのだが「そこまでに技術を身に着けているだろう」と言う事で、出てきた時はいきなり相当な事をさせられるが、確かにその辺まで上がっていれば出来そうな感じだ。
個人的にはこのメソッドは非常に良く出来ていると思うが、日本語版が無いところをみると国内ではあまり評価されていないらしい。
リーに関する日本語解説の来歴は見つからなかったが英語のものがあった
『Sebastian Lee (1805-1887), a talented musician whose performing style was called classical by his contemporaries, was a pupil of the Hamburg cellist Johann Prell (1773-1849), who in turn studied with Romberg. In 1837-1843, Lee was soloist in the Grand Opera orchestra in Paris; he taught there until 1868, and then returned to Hamburg.
In both his playing and the violoncello Method that he edited in 1845, Lee combined features of the German and French trends. His Method was accepted as a manual at the Paris conservatoire and was dedicated to Louis Pierre Norblin, a professor there. As it contains certain praiseworthy methodics material and melodious music, it was republished in different countries, including Russia." In the Soviet Union, the Method was published in Andrey Borisjak's edition (1940). Lee's etudes and cello duets have also been used in teaching in more modern times.』
とあり、ドイツ人だが、パリでも活躍していた人らしい。
どうもドイツとフランスの両方を融合させたメソッドの様で、パリのコンセルヴァトアールやロシアでも使われていた様で、かなり優れたメソッドでは無いだろうか?
リーは、「40の旋律的練習曲」というのがあるのだが、恐らく、この「Violoncello School 」と併用するのだろう。
ウェルナーは取り敢えず1ポジションの前半までは終了してある程度の指(腕)のウォームアップは出来たので、今後はこのリーへ移行してこの「Violoncello School 」と「40の旋律的練習曲」を使うことにしようと思い数日使ってみた。
ところが、実際に使ってみると、エチュードはどれもセンスの良い物ばかりなのだが、如何せん数が少ない。
補足的に「40の旋律的練習曲」を使うのだろうが、それでも音楽には訓練的な要素もやはり必要だ。
そういう意味でも教則本の構成上でもう少しエチュードの数が欲しい。
「訓練的な要素」と言えばやはりドッツアウァーだ(笑)
そこで、ちょっと眺めてスルーしていたドッツアウァーのメソードを開いて眺めてみた。
すると、このドッツアウァーは、丁度、ウエルナーとリーの中間と言った内容の教則本だった。
日本では曲集は使われている様だが、メソードそのものはそれ程使われてない感じだ。
それでも多少国内版もあるが、これもIMSLPに綺麗なものが上がっていたのでこれをダウンロードした。
ドッツアウァーは全部で3巻構成になっていて、ページ数もエチュードもリーよりは遥かに多い。
構成はウェルナーに似ているが、質はこちらの方が遥かに高く、1巻は全部で108曲のエチュードがあるが、2時間ほどで、ざっと1から40番までのエチュードを弾いてみた。
同じハ長調のシンプルなエチュードでもこちらの方がはるかに内容があり、「ここからここまでは同じフォームの中で弾く」と言う細かい指示記号まで記入されているなどきめ細かい。
又、ウェルナーでは中途半端やな。と思っていた指のエクササイズも、非常に徹底していて、如何にもドッツアウァーらしい(笑)
エチュードも比較的音楽的だな。と思って調べてみると、演奏家としても様々なオーケストラの首席をやった他、作品は残っていないが交響曲まで書いている強者だった。
『Justus Johann Friedrich Dotzauer (20 January 1783 – 6 March 1860) was a German cellist and composer.
Born in Haselrieth, near Hildburghausen, to a father who was a church music minister, he learned at a young age to play a number of instruments, including piano, double bass, violin, clarinet, and horn. He also was instructed in music theory by the local church organist.
He received his first cello lessons from the court trumpeter, and, having chosen cello as his instrument, he went on to study with various other teachers, and eventually found his way into the Leipzig Gewandhaus Orchestra, and then the Dresden Court Orchestra, where he remained until he retired in 1850 at 67, ten years before his death.
Although Dotzauer wrote many symphonies, concertos, operas, chamber works and sonatas, he was most recognised and famed for his Violoncellschule, 4 volumes of 113 exercises and caprices for unaccompanied cello.』
こうして3人の教則本を眺めてみると、何故日本でウェルナーがチェロのバイブルとなっているのか良く理由が分からない。
ウェルナーの来歴を調べてみても日本語の解説は全くなく、やっと
『born in 1837, was principal cellist for the Munich Hofkapelle. He wrote a popular cello Method which went through five printings. Sophie Menter, daughter of Werner's teacher, became David Popper's first wife. He died in 1922. 』
と言う解説を見つけた程度で、音楽家の格から言ってもドッツアウァーやリーの方が優れている筈だ。
ウェルナーはドッツアウァーよりも後に生まれていて、ドッツアウァーも1ポジションから4ポジションへ進んでるところなど、非常に似ている。
どうもウェルナーはドッツアウァーをベースに教則本を書いたのでは無いかと思える点が多い。
しかし、似ていても内容的には雲泥の差がある感があり、音楽史的には無名のウェルナーがこれだけ採用されいてるのか不思議だ。
日本のクラシックの世界では得てしてこうした話が多く、知人の京都市芸の院に在籍してあちこちで活躍しているコントラバスのM君がフェイスブックでこんな話を書いていた。
『以前、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコントラバスセクションの写真を拝見したところ、ジャーマンとフレンチが半々とまでは言わないが、フレンチ奏者が結構いた。
恐らく1930年代後半と思われるが、今の日本のオーケストラがジャーマンボウ主流というのを考えると、興味深い写真だ。
ここからは勝手な考察になるが、当時の新交響楽団からコントラバス奏者は2人海外留学をしている。
長汐尋治氏がチェコに留学し、シマンドルの弟子のチェルニーに師事。(氏はもともと新響チェロ奏者)
紙恭輔氏がアメリカ・南カリフォルニア大学(ゲイリー・カーが最初に学んだ学校)に留学。
そこでフレンチボウ奏法を取得したのではと考える。
その後、長汐氏は新響復帰し首席奏者になり、東京音楽学校(東京芸大)で教鞭をとり、沢山のコントラバス奏者を育成。紙氏はジャズや映画音楽の世界へと行ったことから、日本にはジャーマンボウが広まったのかなー、なんて。。』
と書いていたが、ウェルナーが日本へ入ったのもそんなところなのではないだろうか?
それにしても、こう言うメソードと言うのはやはりドイツがまとめるのが上手いのか3人ともドイツと言うのが面白い(笑)
2週間ほどで、ざっと自分の指針は見つかったので、後は安心して練習あるのみだが。。^^;