コラム『池上彰の「学問のススメ」』の紹介 | iPhone De Blog

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別に僕は「日経」の回し者では無いし、寧ろ、大筋では反対方向の考えだと思うが、良い物は良いと素直に認める主義だ。


そう言う中で、先日のコラムのついでに、僕が読んでいる『池上彰の「学問のススメ」』の紹介をしたい。


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http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110722/221631/?leaf_kbn

こちらは、タイトル通り、フリージャーナリストの池上彰さんが各界の専門家と対談形式で行うコラムだ。


既に2011年からスタートしていて何人かの専門家が登場している。

池上彰さんに対する評価は僕の中では程々で、対談の中には僕は賛同できない意見の専門家も出てくるのだが(笑)、大筋では面白い。


なので、特に池上彰の名前があったから読み始めたのではなく、初回(2011年8月9日)の加藤陽子東大教授との対談が面白かったからだ。


タイトルも『原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?』と言うタイトルで、日頃、僕が思っていることをズバリと語られていた。


『戦争の時代もそうでしたが、我々はどうもマスコミ報道を含めた「世論」に流されやすい傾向がある。ちょっとでも危ない、という情報が流れたら、みんなが一斉に怖がる。いま池上さんが説明した殺人報道が典型ですね。一方、威勢のいい「大本営発表」には乗せられてしまう。

このような国民の姿を見ている為政者やマスコミは、ある意味で、国民を舐めてかかる気性が生ずるでしょうね。ここに、情報を握る政府や官僚や企業が、「本当のこと」や「都合の悪いこと」を隠したがる、という悪循環が生まれる。日本の国民は、本当の危機を、その危機のその渦中に、政府によって率直に吐露された経験がないのではないか。いつも後になって、ああ、瞞されたと嘆き、なぜ伝えてくれなかったと嘆くことになる。


 たとえば、1944年6月、日本は前線司令部を構えていたサイパンで米軍と激突し、7月にはほぼ全滅状態でサイパンが陥落します。この時点で日本が戦争に負けるであろうことは、天皇も近衛文麿元首相も大本営も国家の中枢にいた人たちはみんなわかっていた。けれども、事実をひた隠しに隠し、まさに大本営発表を繰り返しました。なぜかといえば、国民の前に真実を伝えた時の国民の反応が恐い。そのような経験がないからです。敗北という事態を想定しないわけですので、合理的な敗け方がわからないのです。政府も国民も。』


史実に関しては僕は専門家では無いので、後半に関しては「恐らくそうだろう」と言う程度しか賛同出来ないが、この様な「歴史的な繰り返し」は感じられる。

それ以前に「恐らくそうだろう」と思えるのは自分も同じように考えているからに過ぎない。

僕は物の見方というのは先ず自分の思想ありきだと考えている。

実際、僕は加藤さんのファンでも何でも無く、寧ろ、どんな人だろうとあらためこれを書くのに少し調べたが、加藤さんの話を「一方的な見方」だと批判しているブログが幾つか見られた。


それらは、枝葉末節の誤りを取り上げて、端から、批判的な視点だな。と言うのが感じられた。

結局、その人々はそう言う風に思ってないから、逆に細かい誤りまで気が行くのだろう。

僕の場合、最初に書いたように、誰のどう言う発言だろうが「良い物=賛同できる物は受け入れる」と言う姿勢で、その基準は自分の思想ありきだ。

批判しているブログを読むと「それじゃ自分はどう考えるのか?」と言うことは全く書かれてないし、念のため他の記事を読んでみたが、同様に賛同できる自身の考えは書かれていない。

中には、批判の根拠として、「歴史は中立に見ないといけない」と言う事が書いてあったが果たしてそうだろうか?

この対談の中で池上彰さんは『マスコミは、両論併記が客観報道、と逃げていたきらいがある。』と言われていた。


まさに、歴史観でも、僕はそうだと思っている。

「何故そうなったのか?」と考える時には「どうあるべきか?」と言う自身の思想が先ず必要だと思う。


その場合に、当然、採用する事実が異なる場合もあり得る。

特に過去の事となると情報の信頼性が不確かな場合もあり、自身の思想に基づき収集すれば、自分の思想と合致する情報を収集する中で、誤った情報を採用する事もあるかもしれない。

只、僕はそれで良いと思っている。

それはその人の一方的な視点なのかもしれないが、一人一人が考えれば、多くの一方的な視点がある筈で、それぞれの情報の見方がある筈だ。


特に統計などは様々な見方があるので、採用の仕方によって全く違う印象を受ける。

例えば、先日発表になったiPhone5でも、長くなったと言う事は事実だが、「従来より長くなって、操作範囲が広くなり使いにくくなった。」と言う印象もあれば、「従来より長くなって表示範囲が広がり見やすくなったと。」言う印象もある筈だ。


大切なのは自分がどう思うかだろう。


日本人は自分の意見の白黒をハッキリさせるのが苦手なのか、池上さんの言われるように、すぐに「両論」を考えて白黒ハッキリさせない。そして、最終的に声の大きいところへ大挙して流れていく。


歴史なんて過去の事で、大切なのは未来だ。

一方的な視点の歴史観がぶつかりあいながら、その中から正しい未来を導き出すのが歴史や歴史家の役割だと思っている。

そういう意味では、多少生きてきた経験では、加藤さんの言われている前段は非常に納得できる訳で、そう言う視点の歴史観は参考にしたいし、現代に生きる自分達がそうならない様にしなければならないと思う訳だ。


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