自宅外1ヶ月禁酒を考える | iPhone De Blog

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2009年12月7日からスタート
iPhone3GSからiPhoneユーザのLEONがiPhoneやAndroidなどを中心にしたデジタル系ガジェット、IT関連ネタ、趣味のコントラバスやチェロを中心としたクラシックネタ、2022年から始めた自家焙煎に関する話や日常の話まで幅広く書いてます。

大坂には独裁者が居らしいが、僕の街にはパフォーマンス市長が居る。

そのパフォーマンス市長がまたぞろ打ち上げた「自宅外1ヶ月禁酒」

最近、頻繁に発生する市の職員の酒の上での不祥事が理由らしい。

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市長いわく「酒の飲み方を知らんのか?なら外で酒飲むな」と言うことらしいが。。

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これは飲酒運転だけでは無いようだが、最近大きく飲酒運転0のキャンペーンをやっていた矢先なだけにメンツが潰れた格好なのだろう。

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日本人は、今回の日食でもそうだが、何かの方向へ鼻を向けられると、大挙してそっちへすぐに走っていく国民だ。

「飲酒運転」に関しては、幾つかの痛ましい事故で、感情的に煽るマスコミに乗せられて、訳も分からず反対していると言う風にしか僕は見えない。


ここで「飲酒運転」を冷静に考えてみよう。

車と酒があって、その二つに関しては、それぞれの存在が合法である。

ここで問題になるのは、先ず「車」と言う存在だ。


酒を飲んでようが、飲んでなかろうが、車というのは走っている限り危険な存在だ。

仮に必死に安全に運転していても、信号無視して横断歩道を横切る自転車などを見ると、世の中から自転車を全部なくしてしまいたい衝動に駆られるが、当たれば間違い無く怪我をするのは自転車の方だ。


とにかく、動いている間は非常に危険な物だと言う認識をしなければならない。


その為、様々な制限が設けられていてそれが法律となっている訳だが、「酒を飲んで車を運転してはいけない。」と言うのもその一つだ。

一方で、酒類に関しては、未成年者の飲酒が禁じられているものの、それ以外は特に制限を設けられているものではない。


その昔「禁酒法」と言うバカな法律がアメリカで作られた。

禁酒運動による相当な圧力の下で、1919年から1933年まで米国憲法修正第18条下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送は全面的に禁止されたのだが、結局、違法な酒の流通および無許可での製造販売は激烈となった。

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バカな法律ではあったが、やってみたアメリカもすごい。

結果的に、人間というのは愚かなもので、禁止しても必ずそれを破るものはいる。それもかなりの数の人間がそうだと言うのが証明されただけだ。


現在は、あくまでも、成人であれば合法的な飲み物であり、おとなしく飲んでるぶんには何のお咎めは無い。


只、酒と言うのは嗜好品であり、当然、飲めない人も居れば好む人もいる。

飲めない人にとっては、世の中から無くしても一向にかまわないだろう。

これはタバコも同じだが、タバコは煙が出るだけに自分以外の人に害を与える可能性もあるし、害を与えるかどうか分からないと言っても、僕のように煙が嫌いな人間は多い筈だ。


おまけに、吸殻も出るし、これを車の窓からポイっとやる奴を見ると、その手を切り落としたくる衝動に駆られる。


僕の場合はタバコを世の中から無くして欲しいし、タバコを吸いながらの「吸煙運転」を禁止して欲しい。

これ以外にも、携帯電話の通話に関しては制限はあるものの、飲酒運転ほど罰則は厳しくない。

これら、運転以外の操作や行為は本来全て同じ様に危険な筈だ。

それなのに、「量刑」に差があったり法律で禁止されていないのは何故だろう?


結局、それぞれの存在が合法であって、組み合わせてはいけないと言う法律上の問題だけであれば、運転する人間の「モラル」と言うデッドラインのみと言うだけなら飲酒運転が無くなる筈はない。

これは自分の話だが、アマチュアのコントラバス奏者と言うのはコンサートではたいてい自分の楽器を持っていく為、本番の時は車で行く機会が多いが、20年くらい前までは演奏会が終わった打ち上げでガンガン飲んで車で帰ってたもんだし、周囲も特に気をつけて帰ってくださいね。と言う程度の扱いだった。

もちろん、事故などは一度も起こした事は無いが、酒を飲んでの運転は昔も、それなりに厳しかった訳で、普段よりも気をつけて運転していただけに過ぎない。

今でこそ、取り締まりも法律も厳しくり、周囲の目も変わった為、さすがにそんな事はやらないが、先でも書いたが、それぞれの存在が合法である以上、「倫理的に悪いもの」だとは全く思ってないし単純に法律で取り締まられているからで、破れば酷い目にあうからでしかない。と断言出来る。

つまり、僕も「モラル」と言うもので飲酒運転をしないわけでは無い。と言うことだ。

これまでの話から分かる様に、運転に関する影響で注意力が落ちるなら携帯電話をしながら運転してるのも注意力が落ちるのだし、分かってやってるんだから飲酒運転並に取締るべきだが、そちらはそれ程でも無い。

携帯電話中の事故が頻発してマスコミがキャンペーンを張って、違反者が続出したらそのうち自宅外の携帯電話も禁止にするのか?


実はここで、飲酒運転の是非について書きたかったわけではなく、今朝のキー局と地方局の放送の違いが気になったのだ。


東京のキー局と地方局で同じ様に、この件を報道していて、気になったのが、いわゆる街頭アンケートの数というやつだ。


キー局のアンケートでは圧倒的に市長に賛成が多かったのだが、地方局ではごくわずかだが反対が多かった。

当然、視聴者の多くはキー局の報道を見て、賛成が多いのだろうと思うだろう。


元々の、この「飲酒運転」の問題にしてもそうだが、非常に危険だと思った。


どうも、日本の場合は、こういうマスコミの声によって、何でも中途半端に禁止というのが目に付く。

例えば、このレバ刺し禁止もそうだ。

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そんなもの自己責任の範囲だ。

全ての店が、あの激安店の様に適当な調理法で出しているわけでは無く、安全に調理してい出している店がほとんどだろう。


そして、自己責任の範囲で、もし事故を起こした場合は、無期限の営業停止等、厳しい処罰を用意しておけば良いだけだ。

出す前から禁止してしまえば、一向に自己責任が取れる方向へは行かない。


飲酒運転だって、飲酒運転はやりたければ自己責任でやんなさい。
但し、事故を起こした時に酒量チェックで飲酒運転と判断され、裏付けも取れた場合は、その大小に関わらず極刑と言う事にして、何百人か処罰すれば、飲酒運転などあっと言う間に無くなるだろう。


要するに、自己責任の部分で厳しくすれば良いのだ。

それを単に形のところで取り締まろうとするからいつまでも無くならないし、禁酒法と同じで、感情的に酒を禁止しても、結果、返って密造酒が横行して、ギャングの資金源となっただけに過ぎない結果になる。

これは罪では無いが、大学でもそうだろう。諸外国の場合、入るのは簡単だが出るのは難しいと言われている。

大学へ入って遊ぶのは勝手だが、卒業できるか出来ないのは自己責任と言う訳だ。

恐らく、今回の1ヶ月禁酒だって、市長の単なるパフォーマンスにしかならないだろう。

もちろん、単純に処罰を厳しくするだけの無策な事だけでは無く、例えば、酒を飲んでる人に限って一定距離以内ならばタクシー代や代行の料金を無料にすると言う事にすれば、皆、喜んでタクシーや代行で帰るだろう。

その分の補助をしてやれば、色々なところが潤って最終的には税金で帰って来る。


そういう知恵の出し方もあるが、大切なのはマスコミのキャンペーンに単純に乗せられない様にして、自己責任と言う範囲を広げると同時に社会的な損失に関しては当然、自己責任をきっちり取って貰う体質を作るべきだろう。

もちろん、飲酒運転に関しては僕の言ってるような極論で解決するはずは無いとしても何でも禁止すれば簡単だし単純だが、そういう視点が無ければ、日本(人)はいつまで経っても「○○ちゃん、○○しちゃダメよ」的な子どもの様な大人が増えるばかりで、成熟した国家(国民)とならないというのは間違いない。


変える必要があるのは「モラル」では無くそこだ。