窮職の時代 を考える | iPhone De Blog

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僕が読んでいる地元紙へ連載されていたコラムのタイトルだ。


「連載されていた」と過去形だが、今日の50回で終了となった。


僕はこの「福澤徹三」と言う人の事は全く知らなかったが、幾つか賞を取っている小説家で、様々な職業を経験して現在小説家として活躍しているらしい。

時々、説教臭いやつだなぁと思うこともあったが、年齢が僕の二つほど下で近いので、さもありなんだが(笑)、基本的な考え方は、良く似ている。

コラムは最近の就職事情や仕事をすると言う事、仕事そのものまで幅広く書いてあって面白かった。

特に、今日は最後だったからか、結論と言うところだが、なるほど、こんな観点もあるなと思ったので紹介した。

写真で撮ったが、恐らく読めると思う。


話をかいつまむとこんな感じだ。


以下要約)


現代は20歳で成人だが、かっては15歳で成人となり、武士の子どもは武士、農家の子どもは農家、職人の子は職人、商家の子は商家を継いだ。

継げないものは奉公へ出されることもあったが、みなその道で生計をたてた。


適性診断や就職活動もなく与えられた仕事に就くしか無かった。


これに近い状況は戦前まであって、職業が自由に選べる様になったのはつい60年くらいだ。


現代の若者の場合「やりたい仕事が見つからない」「自分にあった仕事がない」と言って悩み、適職信仰といわれるごとく、みな自分に最適の仕事、すなわち天職を求めている。

しかし天職などそうそう見つからない。


何も昔がいいと言うのでは無い。職業選択の自由がなかったのに、当時のひとびとが職務をまっとうしていたのを不思議に思うだけである。


日本の伝統文化を支えてきた彼らが現代人に劣るとは思えない。


みな嫌々ながら働いていたとも思えない。


そういう時代だったといえばそれまでだが、りっぱに家族を養っていたのだから、腹をくくっていたのである。


この道で生きると覚悟を決めて、プロになったのである。


してみると天職とは才能や適性よりも、みずからの気持ちのありかたではなかろうか。


よき師がいないのではない、師を見出す心がないのである、という言葉が仏教にある。


要約終わり)


と言う感じだ。


精神論的には現代でも通じる話だし非常に共感できるのだが、反面、果たして現代で、どんな仕事でも家族を養っていけるかと言えば別だろう。


ワーキングプアと言う言葉があるように、真面目に働いても家族を養えない仕事はたくさんある。

現代の若者の悩みはそれ程贅沢では無い。

全てが受験戦争の勝ち組では無いし、自分が既に受験戦争から落ちこぼれていると言う事を自覚している若者は、それなりの仕事でも覚悟はしているだろう。


しかし、現代の場合、昔と違い、富の再分配と言うのは非常にアンバランスとなっている。


家庭を持って、住居費その他を賄い、社会生活を「人なみに」営もうと思った時に必要な収入を得るには程遠い仕事は山ほどある。と言うか、そういう仕事の方が多いのでは無いだろうか。

少なくとも15歳で成人となっていた時代には、◯◯相場で富を築くと言う話もあったが、現代ほど働きもせずに単にお金を転がすだけで莫大な収入を得ていた人種も多くなかったろう。


当たり前だが、人間一人の生産力は、本来それ程差が無い筈だ。


結局、そこに差があると言うのは、良くも悪くも現代社会の仕組みであって、必ずしも収入が低い者の働きが悪いとは限らない。


仕事が無い訳では無く、その仕事を一生続けて家族を養いながら生きて行くと腹をくくれるだけの仕事が無いと言うだけだろう。

結局、本人も色々な仕事を転々としているわけだから自身が良くわかっているはずだ。

まだまだ現代の若者の悩みは尽きないだろう。