ブログ友達さんの記事に才能に関する話が書いてあった。
http://s.ameblo.jp/classy-cafe/entry-10987581902.html
才能とは一体何なのか?
才能と言うのは有無があるのか?
さまざまなコメントが入って面白い。
ちなみに僕のコメントはこれだ。
「前の方が書いてましたが、才能は少しはでは無く非常に関係があると思います。
前の方はその才能に関する説明を説明されてませんでした が、その才能に関する考え方はMs.Violinistさんが書かれている通りだと、僕は自分の経験から思いますね。
好きと言う気持ちは誰でも持つ事が出来ます。
実はクラシック音楽の世界にしっかり浸ってる自分も学校の音楽の授業は大嫌いでした。
しかし、中学でフォークギターと出会って音楽が好きになり、その後エレキベースを経て大学でコントラバスとの運命の出会いをしてクラシック音楽と出会いました。
僕はギターやコントラバスは非常に好きでしたし、楽譜も ろくに読めなかった僕がここまで来られたのは好きと言う才能のお陰でしょう。
しかし、何処まで行けるかと言う意味では、環境と言うの はもっと関係あると思います。
先日、父親がプロのコントラバス奏者で、子どもの頃からコントラバスに親しみ、現在、ドイツのオーケストラで活 躍している、まさにサラブレッドと言う若い奏者の演奏を 聴きましたが、好きだけで来られ無い場所もあると思いました。
ただ、何処まで行くのかは人によって違うと思いますが、住めば都です。
音楽やスポーツは一番遠くまで行けるのが良いとは限りません。
近くでも、のんびり楽しみながら過ごせる今の場所で良かったと思ってます。」
才能に関する僕の考えはここに殆ど書かれている。
僕はコントラバスを始めて30年以上になる。
趣味として続けてる期間としては一般的に長い方だろう。
それも、単に続けているだけでなく、九州で活動しているにも関わらず、国内外のトップクラスのコントラバス奏者からレッスンを受ける程度に継続している。
その上でのコメントだが、これまで、もう少し才能があったらと思った事は無い。
もう少し早くちゃんとした音楽教育が受けられたらとか、私立の音大へ行けて、留学させて貰えるほど家庭に余裕があればと思った事はあったが、長い経験と、それまで出会った一流奏者を見る限り、持って生まれたものの差はそれ程無いと言える。
まあ、生まれた環境が才能と言うならば、そこに生まれたら誰でもそうなるかと言えばそうではない。
先に書いたサラブレッド君もそこにいたるまで相当な練習をしてきている筈だが、恐らく、苦しいと思った事は無いだろう。
何故なら、僕もそうだが楽器を弾く事が好きだから、練習は楽しい以外の何物でも無いのだ。
少なくともこれまで出会った一流奏者は全員そうだ。
「いゃ~楽器弾くのが嫌でどうしたらサボれるかしか考えてなかった。」と言う人は居ない。
まあ、子どもの頃はそうだったと言う人は時々居るが、それでも「寝るのを忘れて練習してた。」と言う具合に変わってる。
やはり「好き」と言う事を超える才能は無いと思うし、それは誰でも持っている。
恐らく、数十年以上何かを続けて来た人は皆、同じ事を言うだろう。
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