今日はコンサート | iPhone De Blog

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2009年12月7日からスタート
iPhone3GSからiPhoneユーザのLEONがiPhoneやAndroidなどを中心にしたデジタル系ガジェット、IT関連ネタ、趣味のコントラバスやチェロを中心としたクラシックネタ、2022年から始めた自家焙煎に関する話や日常の話まで幅広く書いてます。

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去年の秋に聞いた時と比べても、僅か一年足らずの間に素晴らしい成長だった。

去年、初めて、その演奏を聞いた時に、イントネーションが素晴らしいのに驚いたが、前回は弦楽合奏の中だったので、ピアノの平均律の中でどれだけ自由に動けるのだろうと思っていたが、そんな事など微塵も感じさせない、まさに今の勢い通りに自分の世界が伝わって来る演奏だった。

ちなみに、これは伴奏者の素晴らしさも一役買っていた。
常に陰になりヴァイオリンをひっそりと支える。絶妙なコントロールが出来て初めて出来る事だ。
その結果、ヴァイオリン、ピアノ、ホールとが一体となった音楽に仕上がっていた。

コンサートの間、この人は、今、ヴァイオリンを弾いてるのが楽しいんだろうなと言うのが伝わって来る演奏で、聴いてる我々までヴァイオリンが好きになりそうだった。

実は僕はずっとヴァイオリンの音が嫌いだった(笑)

自分が低音楽器だからと言うのもあるが、ヴァイオリン特有のヒステリックな高音域の音色が苦手だった。

しかし、去年、この人のコンサートを聴いて、こんなに聴き心地の良いヴァイオリンの音色があったのかと驚いたのだ。

何度聴いても聴き疲れない音色だ。

去年、僕はコンサートの後に買ったCDを熊本から自宅へ帰るまでに2度は聴いた。
今も、疲れた時には聴きたくなるし、運転中イライラしてる時も聴くと何となく幸せな気分になれる。


もしかするとコンクールなどではインパクトの無い音色だと批評されるのかもしれないが、悪いが、そう言う音色は毎日聴きたいとは思わない。

その理由は今日のコンサートで分かった。

右手の技術は以前から、無理に押さえつけずに、必ず弦の上に綺麗に乗せて音を出すテクニックは気が付いていたが、押さえ方、ヴィブラートの掛け方含めて、左手の指の使い方にも非常に気を配ってる事に気がついた。

通常だと指を立てて垂直に押さえる所を、必要な箇所で、出来るだけ沢山の面積を使って押さえてる為、音色が柔らかくなる。

反面、やり過ぎると音程の芯がボヤける。

僕は最初に書いたが、この人はイントネーションが素晴らしい。

つまり、音程の芯もボヤけて無いと言う事だ。
気が付いている人は少ないだろうが、実は凄いテクニックだ。

今回のプログラムでもテクニカルフラジオが出て来る曲があったが、素晴らしく美しい音色だ。

指の形が綺麗に出来てないとこれだけ美しく鳴らない。それだけ音程が良いと言う訳だ。

その為かもしれないが、常に丁寧に音を出す為、ベートーヴェンのサクサク弾く十六分音符は若干スピードが上がらない様で、わかってない人はテクニック的に云々などと言うのだろうが、速く回れば良いってもんじゃぁない。
大切なのは音のクオリティだ。恐らく、本人もそれを採っている結果だろう(と僕は思っている)。

又、クラシックのコンサートの場合、修行僧の様に自分の世界へ入ってしまい、作曲家との対話を聴かされる事が多い。

それなりのレベルになると対等に話が出来る奏者も居るが、殆どはそうならない。

クラシック音楽に多少理解のある客なら、「あ~頑張ってるね。」と、それも楽しめるが、そうでない客は楽しめないし、クラシックはつまらないとか眠くなると言われる筈だ。

今日の客層を見ると、普段それ程クラシック音楽に接してる感じでは無い人達の様だった。
しかし、演奏中、非常に演奏に集中していたのが良く分かった。
集中と言うよりも引き込まれていたのだろう。

この人は自分自身がヴァイオリンを楽しみながら、常に我々の為に演奏しているのだ。

まるで、子どもがヴァイオリンを弾くのが楽しいから、それを誰かに聴いて欲しくて、その反応を楽しんでる様にも思える。
演奏中に、時々、イタズラっぽく客席に視線を投げ瞬間を僕は見逃してない。

今年は、イマージュで諸先輩に鍛えられたのか(笑)去年と比べても、演奏の中にも、少し大人の雰囲気が加わり、これまでの性格通りのストレートな演奏に加えて、良い意味で変化球も入り、勝負球が増えた感じだ。

ベートーヴェンのソナタも良く練られた感じで、テンポ設定含めてしっかり仕上げられて素晴らしい演奏だった。

ただ、誤解を恐れず言えば、アーティストとしての才能の素晴らしさからすれば、この人の場合、曲そのものの完成度が高い作品を忠実に再現するよりも、演奏者が個性を発揮出来る余地のある曲の方が僕は好きだ。

邦人のオリジナル作品やクラシックの場合、小品と言われる分野だが、決して簡単と言う訳ではない。

コンクールなどで入賞する様な素晴らしいテクニックと実力があっても、その様な曲を演奏させると途端に詰まらなくなる演奏者は沢山居る。

ある面、クラシックの世界では個性があまり必要とされない場合があるが、逆に、
個性は練習や勉強だけでは得られない。

多くの経験と人との出会い、様々なジャンルの音楽と触れあってはじめて得られるものだ。

長い事クラシックの世界に居ると、そう言う機会を得ることが少ない為、個性が必要な演奏を要求されると、どうして良いのか分からないと言う事になる。

人の心を揺さぶって、初めて音楽はナンボのもんになる。

去年に引き続き、今年も心が揺さぶられ、演奏に何度か涙してしまった。

「人はパンのみにて生きるにあらず」

こう言うコンサートへ行くと、僕はこの言葉を思い出す。