昨夜11時頃、義父が入院している病院から家人へ電話があった。
もう長らく骨髄腫を患って、先月末に、もう長くないと言われていたが、血圧が低下しているらしく連絡が入った。
結局、朝方他界した為、その後葬儀社へ移動して、現在、義母と家人は用意の為、自宅へ戻り、葬儀社の通夜室でひとり留守番中だ。
二人とも兄弟が居なく、義父母もここは地元では無いため、取り急ぎ来る親族もなく静かなもんだ。
ブログで誰かが亡くなることにたいしてどう考えるかという事を書いているが、実は僕は自分の母親が他界した時もそうだが、泣かない。
義父も父親と一緒に暮らした経験が少ない僕にとって優しい父親の様なもので非常に可愛がってもらったし、子ども達にも優しおじいちゃんだった。
義父母は聴覚障害者だが、だからこそ非常に心が優しい人達だったと思っている。
そう言う義父だから悲しくない筈は無い。
しかし、冷たいのかもしれないが、非常に冷静だし、今から、葬儀社との打ち合わせもキッチリ予算を出して行うつもりだ。
そういう自分を眺めると、多分、人間の死に関してひとつの考えがあるからなんだろうと思うが、特に病死の場合、単に生命の終わりだと思い、葬儀もひとつの儀式だと考えているからだろう。
只、こう言う時に、涙腺が弱くなることは一切思い出さないし、考えないようにしている。
震災の時に、TVが流す映像を敢えて見なかったのも同じ理由だ。
さっき、これを書きながら義父の事を少し思い出して危なかったが、泣いたり思い出を語るのは後で良い。
その為、ここへ来る時は遺体と付き添った家人と別れて、一度家へ帰り、いつでも喪服へ着替えられる様に、ネクタイ系の服にキッチリ着替えて、礼服に二日分の着替えなども用意して乗り込んだ。
こうしておけば、後は僕がここへ居れば何か事務的な判断は済むので、家人は義母と遺影を探しに行ったり自宅で待っている子どもたちを迎えに行った。
当然、充電器関係、パソコン、水筒なども持ち込んでるし、先週金曜に借りたDVDも明後日返さないといけないので持って出た。
何処かの総理大臣はすぐに前に行くが、大将は前線に居てはいけないのだ。
既に、テンパッてる家人は曜日を一日取り違えて、今日が通夜で明日が葬儀と言ってた。
いや、今日は木曜だから、今日は仮通夜にして、明日、明後日が良いだろう。
それならば葬儀も土曜となるので遠方の親族も来やすい。
そういう冷静な判断が出きる人間が必ず必要だ。
それにしても、現代の通夜室は高級ホテル並で、何でも揃ってるのには驚く。
ということで、さすがにこの後は数日ゆっくりブログを書く暇は無いと思うので、土曜まで忌引き。
しかし、日曜にはしっかり本番が入ってるので、これはキッチリ仕事する予定。