今日は延岡 | iPhone De Blog

iPhone De Blog

2009年12月7日からスタート
iPhone3GSからiPhoneユーザのLEONがiPhoneやAndroidなどを中心にしたデジタル系ガジェット、IT関連ネタ、趣味のコントラバスやチェロを中心としたクラシックネタ、2022年から始めた自家焙煎に関する話や日常の話まで幅広く書いてます。

今日の夜は延岡で来週のコンサートの練習だビックリマーク

勿論、単に延岡まで行くのはつまらないので朝から出掛けてあちこち立ち寄る予定パー


呼んでくれる延岡のベースの友人はもう20年来の付き合いになるが、彼は地元大企業の研究室の室長さんだ。


彼も偶然今回の震災の日に上京していて東京駅に居たらしく、メールで様子を伝えてくれたが、苦労して延岡まで戻って来た様だ。


当然、泊りなので、練習後の懇親会は、今回の震災の話が中心になるだろう。


僕以外も大学教授、コントラバス専門のレストアと職種も年齢も様々だが、音楽を通じた仲間は大切だ。


話は変わるが、僕はGALAXYTabやiPhone等を常時携行するのでカバンが必須だ。


特に一泊など宿泊がある場合は、必ず荷物チェックをする。


特に薬品関係が使い切ってしまってる場合があるからだ。


今の状況なので防災関連用品が人気だが、防災グッズと言うのは、別に非常用袋へ入れておく物で無くとも普段から携行する物でも充分役に立つ。


以下は僕のカバンへ入っている物で、上から単眼鏡、その下はLEDライト、カットバン、胃薬、風邪薬、鎮痛剤、目薬。


このくらい持っていれば、震災と言わなくともちょっとした時は困らない。


薬は当然だが、ライトは夜間だけでなくデスクトップPCの裏が暗くて良く見えない場合なども便利だし、単眼鏡は基本的にコンサート用だが、遠くで何か起こっている場合(例えば事故)にこれで状況を把握する事が出来て、危険回避にも役に立つ。


photo:01


最近、これに水筒が加わりつつある。これは300ml用だが、一人で半日だったらこの位で丁度良く、これは特に常時携行する為、軽量の物を選んだ。

photo:02


結局、防災と言うのは普段からの心掛けと言う事で、持ち物も当然だが、普段の行動でも同様だ。

危険な場所へ近付かないと言う事も基本的だが重要だ。

特に、今は被災地は震災直後で、余震も多い。

建物の中は気を付けた方が良いし、関東でも例外では無い。

そう言う意味で、人が沢山集まるイベントを被災地でやるのはやはり避けた方が良いだろう。

僕は全体の自粛モードには反対だが、関東を含めて被災地は例外だ。

今回、プロ野球の開幕が統一されなかったが、難しいところだ。

経済的な面を考えると、中止するより実施する方が様々な経済効果があるのは当然だ。

一方で、心情的な面では、野球と言うのは団体戦で人数も多く被災地の出身の選手も入れば、東北楽天ゴールデンイーグルスの様に本拠地が東北のチームもある。

その面では、全員では無いが、被災者と言えるだろう。

基本的にはスポーツというのは選手がやるものなので、そう言う状況だと心情的にも試合に専念出来ない選手も居るだろう。プロ野球ならやはりプロ野球選手会の意向が重視されるべきでは無いだろうか。

又、先に書いた様に被災地の場合は、危険回避と言う点では関東地区で試合をやるのは危険も多く、現在の電力事情を考えるとナイターでの電力消費や観客の帰りの交通機関が停電で止まる可能性や試合中に余震が発生する可能性など、1回の経済効果に対してトータルではリスクが高すぎつる気がする。

例えば福岡ドームなどの場合問題ないかもしれないが、やれる場所を考えると球場も少ない為、せめて電力事情がある程度分かってからでも良かったのでは無いかと考える。


反面、今回選抜高校野球は予定通り開催される様だ。


こちらは開催地が被災地では無く、高校野球の大会と言うのはプロ野球と違って年に何度も無くチャンスが少ない。高校生はその為に必死に練習して来ている。


これを自粛モードで中止としなかったのは中々英断だと考えている。


野球を例にあげたが、僕が気になるのは全てが右向け右と言う状態になることだ。

延期、中止をした方が良いものは中止・延期。地域などによってやれるものはやる。と言う様に主催者が個別に判断が出来ないものだろうか?


復興や援助に対する意識は右向け右で良いが、その中でそれぞれが自身のアイデンティティを持って行動することが大切だと思われる。

しかし、どちらかと言えば、これまでの教育は全てが右向け右となる事が中心で「そう言われたらそう行動する」と言う点では非常に優れた民族となっているので、震災でも整然と行動している点は、海外でも非常に評価されているが、それ以外の地域で、自分が何をすれば良いのかと言う部分で各人が迷っている様だ。

その点では今回の震災は自身のアイデンティティを省みる機会となっているが、これは「天罰」では無い。

災害は災害で、「天罰」では無くあくまで「災難」だ。

被災した人に責任は無い。


しかし、尊い犠牲のうえで、生きている自分たちが亡くなった方に顔向け出来る行動をする為にはどうしたら良いのか?考えるべきだろう。


例えば、被災地では食事もまともにとれない状態なのに給食の残菜が相変わらず出ている様だが、こういう小さな事でも子ども達が気がつく事が出来れば将来の日本は随分変わるのでは無いだろうか。

やれることは沢山ある筈だし、それを考えるのが第一歩だろう。