明日の自分も他人 | iPhone De Blog

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2009年12月7日からスタート
iPhone3GSからiPhoneユーザのLEONがiPhoneやAndroidなどを中心にしたデジタル系ガジェット、IT関連ネタ、趣味のコントラバスやチェロを中心としたクラシックネタ、2022年から始めた自家焙煎に関する話や日常の話まで幅広く書いてます。

今日の午前中は打ち合わせだった。


僕が20代の頃から付き合いがある制御盤メーカの社長から、昨日電話を貰って、ざっと話を聞いたが、「資料があるので」。と言う事で朝そっちへ出向いて話を聞いた訳だ。


社長から見せて貰ったエンドユーザの担当者が書いた仕様書は「まあ、良くこんな仕様書?が書けたもんだ」と言う位酷いものだった(笑)


この担当者は「一体自分がやりたい事を本当に理解しているのか?」と思ってしまうし、年齢は知らないが、日本語能力の低さに呆れてしまった。


僕は、若い頃にテクニカルライティングの勉強をしたと、ブログに書いた事がある通り、技術者には様々な能力が要求されるが「自分の考えている事を他の人間に正しく伝える能力」も非常に重要な能力の一つだと考えている。


その為の「国語力」と言うのは大事であり、特に、「何か人に仕事や作業を頼む時に書く文章(仕様書)」や、「頼まれて検討した結果を伝える文章(見積書)」と言うのは出来るだけ誤解が無い様に書かなければならない。

間違って受け取られた情報が途中で修整されればまだ良いが、これがそのまま最後まで行くケースもある。

まあ、大抵その場合は引き受けた方に責任を取らされる事が多いので、頼まれる方は要注意だ。


この仕様書は、日本でも最大級の繊維メーカの子会社で、様々な設備へ使うある計器を作っているメーカーの担当者が書いたものであり、自社が作っている計器の「検査と校正」をする為の装置の仕様書だ。


「検査と校正」と言うのはその機械が正しく動作するかをチェックする為の重要な工程だが、そのレベルの仕様書であるのに、僕が以前書いた


「と」の生む誤解、「の」の生む誤解 曖昧な表現を避けよう 
http://ameblo.jp/iphone-fan/day-20100922.html


黒い大きな可愛い目の女の子  ~それってどんな子だ?
http://ameblo.jp/iphone-fan/day-20100924.html


と言った悪い例として好材料になる様な文章のオンパレードなのだ。


ちなみに、この仕様書は、担当者→設備メーカ→制御盤メーカと通って来た筈だが、誰も気がついて無く、僕が見て、初めて、明らかな間違いや曖昧な表現が沢山使われている事が判明した。


誰もまともに検討せずに下へ丸渡ししている訳で、ここも問題だ。


最も酷いのは、検査対象の計測器から出る信号の種類(専門的には4-20mA出力と言うもの)と、校正の為に使用する別の計測器の信号の種類(専門的にはRS485と言うもの)が、回路図でも説明でも入れ替わっているのだ。


一つはアナログ出力でもう一つはデジタル出力でこの二つは管楽器と弦楽器位違う(笑)


ここが間違うと、以降の検査方法の説明等と言うのは全く混乱してしまって意味が分からなくなる。


こう言うのは、文章の曖昧さの段では無い。


こうなると仕様書の全てが怪しく感じてしまうし、この程度の技術屋の場合「書かなければいけない、それも重要な事項」を忘れている可能性も大きい。


とりあえず、そっちの社長には疑問点を確認する様に言って、「どうしてもやらなきゃいけない仕事ならともかく、エンドユーザの担当者がこのレベルだと、後から色々出て来て、非常に危険な匂いがするので、出来ればこの案件は引き受け無い方が良いよ。決まれば協力するけど金額は高いよ」と言うアドバイスをして帰ってきた。


客観的に見れば、この担当者は業務上、この検査プラントは発注しないといけないだろうが、この様に仕様書の確認等で無駄な時間を費やし、挙句の果てに断られたりする事になり、一向に自分の仕事は進まないだろう。

もし仕事を請けるところが出ても、リスクを予想して予算よりも高くなる可能性がある。

結局、これは、会社にとっては大きな損失となる訳だ。


まあ、これは一例だが、製造分野で無くとも、こう言う事は身の回りには沢山ある筈だ。


難しい文章技術は必要無いし、要するに「読む相手が誤解の無い様な文章」を書く事を心掛けると言う事で、これは他人に対する配慮でもある。


文章を見直すと言う作業は誤字・脱字のチェックもあるが、読む側の視点で見直してみると言う行為も含まれている。


少なくともそう言う作業をするだけでも、見えない所で自分の仕事の能率は上がる筈だ。

僕は、自分の書くプログラムのソースにも、良く「コメント」と言って、「その部分が何をしているか」を記述するが、手を抜いて書いている場合は後から見た時に大抵分からない。


これは音楽でも全く一緒だ。レッスンの時に先生から言われた事、合奏で指揮者から言われた事、自分が練習で気がついた事。自分が分かる形で良いから楽譜でも何でも記入しておく事だ。


こう言う作業は誰の為でも無い。


明日の自分も他人だ。


メモや記録はその為にある。