今治146068人のまちが、今日も海風にゆれている | 東東温温

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東温で、東に温かく、西にもまあまあ温かく。 のんびり暮らす人とまちの、ほっとする日々を記す「東東温温」。

🏖️今治がちょっと寂しがってる?〜人口が語る街のゆくえ〜


今治市の2025年10月1日現在の人口は、146,068人。
……数字だけ見ると「ふーん」で終わるかもしれないけれど、平成27年(2015年)には164,816人いたわけで。つまり、ざっくり言って一万人以上の“今治っ子”がどこかへ旅立った計算になる。まるで、クラスの人気者が転校してしまった後の教室みたいに、ちょっと静かになった感じ。🍃


今治といえば、タオルと造船としまなみ海道。
あの橋を渡って尾道へ行くときの、海の上をすべるような感覚——あれはちょっと魔法じみてる✨。だけど、どうやら人の流れは逆方向。しまなみを渡って**“出ていく”人の方が多い**らしい。うーん、これは橋が便利すぎたのかも?


🚗東温市から見た“今治の遠近感”


東温市から今治までは、車で1時間ちょい。
同じ愛媛なのに、なんだか“別世界”って感じがする。こっちは田んぼの間を風が抜けて、のんびり猫が歩いてるような町。⛩️🌾
一方、今治は「海と産業のまち」。港の匂い、潮風、あの独特の鉄の香り。だけど最近は、空気の中に少し“余白”を感じるようになった気がする。昔の今治は、どこかエネルギーが渦を巻いてた——造船の火花が夜空を照らして、若い人たちが夢を語ってた。今はその火花が、少しずつ小さくなってるのかもしれない。


でも、東温から見ると、それでも今治はやっぱり「都会」なのだ。
ショッピングモールもあるし、イオンもあるし、海鮮丼も美味しいし。🐟✨
だけど、数字は正直者。人口減少の曲線は、ゆっくりだけど確実に下を向いている。


🧺タオルが語る街の物語


「人口が減る」と言うと、どうしてもネガティブに聞こえるけれど、街って生き物みたいなもので。季節のように、太ったり痩せたりするのが自然なのかもしれない。
今治のタオルだって、ただの布じゃない。糸がより合って、時間をかけて、ふわっとした肌触りになる。街の人たちも、糸みたいなものだと思う。一本抜けても、残った糸たちがまた寄り合って、新しい模様を織り上げていく🧶。


だから今治の人口が減ったと聞いても、「あぁ、タオルが少し軽くなったのか」と思えば、少し優しい気持ちになれる。
(……と、東温の自分が言うのもなんだけど😅)


🏠空き家が語る“街の記憶”


今治を歩いていると、ところどころに“静かな家”がある。
窓のカーテンが少し色あせて、ポストにチラシが何枚も差さっているような家。
ああいう家を見ると、「ここにも暮らしがあったんだなぁ」としみじみする。👣


昔、友人が言っていた。「街って、人がいなくなると急に声が小さくなる」と。
確かにそうだ。笑い声が減ると、鳥の声がやけに大きく聞こえる。風の音も、前より長く残る。だけど、それが寂しいだけのことではない気もする。静けさって、次に何かが始まる予感でもある。🌱


🕰️変わること、変わらないこと


今治の海は変わらない。
潮の満ち引きも、夕暮れに染まる水平線の赤も、昔と同じ。
でもその海を眺める人の数は、少しずつ減っている。


東温から出かけて、今治の海辺で缶コーヒーを飲んでいると、不思議なことに「時間って案外、優しいな」と思えてくる。街が変わっても、そこにある風景はちゃんと人を待ってくれている感じがする。まるで、港に戻ってくる船を静かに待つ灯台みたいに。🕯️


🧭さて、これからどこへ?


人口が減る、若者が出ていく、それは確かに課題だ。
でも、だからこそ残る人たちが“自分たちの街”をどう描いていくかが面白い。
今治には、タオル職人、造船の技術者、カフェのオーナー、小さなゲストハウスを営む若者たち。静かなようで、街の下にはいくつもの“熱”が流れている。🔥


「減る=終わり」ではなく、「変わる=はじまり」。
東温から見ていても、それは感じる。
人口という数字の奥には、生活の呼吸があって、希望の小さなランプが灯っている。


🌇帰り道のしまなみを渡りながら


夕方、しまなみ海道を走ると、海の上にオレンジの光が浮かぶ。
その景色を見ながら、思う。「街の数だけ、物語がある」って。
たとえ人口が減っても、そこに“生きてる声”があるなら、街はまだまだ元気だ。


今治の灯は、きっとこれからも消えない。
少し揺れながらも、タオルみたいに柔らかく、海風のようにしなやかに、時代を包み込んでいくのだろう。🌊🕊️✨

 

今治市の住民基本台帳人口統計