この度いろいろなご縁を頂いて「古都ならまちの寺社を巡るスタンプラリー」をプロデュースさせていただきました。
(スタンプラリーは 2022年11月30日までの開催です)
今回のブログではスタンプラリーのスポットになっていただいた、ならまちの寺社をご紹介します。
その前に少しだけ「ならまち(奈良町)」についてお話ししますね
ならまちは、世界遺産「古都奈良の文化財」構成資産のお寺である元興寺の旧境内を中心とした奈良観光を代表する旧市街地です。古くは東大寺・興福寺の門前町と元興寺の境内であり、近世から明治にかけて大和の商工業の中心として発展した地域で、幕末から明治に建てられた古民家と呼ばれる町家が、カフェやお店に改装されて観光客に人気の地域です。
ならまちの寺社(スタンプラリースポット)
元興寺
蘇我馬子が飛鳥に建立した寺を前身とし、平城京遷都とともに奈良に移された世界遺産「古都奈良の文化財」構成資産のお寺です。
当時は、現在の奈良町全体を境内および寺領とする大寺院でしたので、ならまちにはかつての塔跡や、旧金堂の礎石が残る町家などがあります。
屋根の一部に行基葺とよばれる奈良時代以前の瓦が残る本堂と禅室、奈良時代の木造五重小塔(高さ約550cm)などの国宝をはじめ、数多くの貴重な文化財が残されている古都奈良を代表するお寺です。
十輪院
本堂が国宝で、後方の石仏龕を拝むための礼堂として鎌倉時代前期に建立され、蛙股や正面の柱など創建当時の部材が残ります。
龕(がん)とは仏像を納める厨子です。空海の造立と伝わる本尊石造地蔵菩薩を中心に、左右に釈迦如来、弥勒菩薩を浮き彫りで表しています。わが国では非常にめずらしい石仏で、国の重要文化財です。また、奈良では3軀のみ現存する五劫思惟阿弥陀仏など見所の多いお寺です。
福智院
奈良時代に聖武天皇より玄昉僧正が賜った平城(奈良)清水寺を前身とし、鎌倉時代に叡尊が再興したお寺です。鎌倉時代の本尊地蔵菩薩坐像と本堂が国の重要文化財。
本尊のお地蔵様が背負う大型舟形光背の後ろの壁には条件が良ければ虹色の光が現れ、ご住職曰く福智院三不思議のひとつとのこと。ほかの不思議はぜひ参拝いただき見つけてください。
徳融寺
お寺がある場所は、浄瑠璃や歌舞伎の題材にもなっている中将姫の父である右大臣藤原豊成の旧邸宅で、境内には中将姫と豊成の供養塔が残る、中将姫ゆかりのお寺です。
近くには、中将姫生誕地と伝わる誕生寺、豊成父子の木像が安置される高林寺があり、あわせてお参りしてみては如何でしょうか。
御霊神社
800年桓武天皇の勅命とされる奈良町の氏神で、無実の罪で幽閉されて亡くなった井上内親王と他戸親王をはじめ8座をお祀りする、奈良の御霊信仰の中心の神社。
狛犬の足首には“足留めの紐”が巻かれていて、「家を出ていかないように、家に戻ってきて」という願いがこめられています。
境内には、開運出世・縁結びの出世稲荷神社、学問の神様の若宮社などの末社があり、枝垂れ桜や八重桜などの花が美しい神社です。
庚申堂
庚申堂は、奈良町の中心にあり「庚申さん」とよばれる青面(しょうめん)金剛像が祀られている奈良における庚申信仰の拠点です。
この庚申さんのお使いの猿を象ったお守りは、魔除けとしてよく奈良町の家の軒先にぶらさがっています。災いを代わりに受けていただけることから「身代わり申」と呼ばれています。また、背中に願い事を書いてつるすと願いが叶うといわれ、「願い申」ともいいます。
崇道天皇社
806年に平城天皇の勅命により南都紀寺の地に創建された、早良親王を鎮めお祀りしているお宮です。
平城天皇は崇道天皇(早良親王)の鎮魂の為に、諸国の国分寺に春秋の七日間金剛般若経を読むよう命じられました、これがお彼岸の発祥と言われています。
本殿は1623年に春日若宮社を移建されたもので、現存する春日移しでは最古の建物として国の重要文化財に指定されています。
久しぶりの寄稿でついつい長文になりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。
ならまち観光、おいしい・かわいいに目が行きがちですが、お寺や神社にもお立ち寄りください。
アイ・ピー・ファイン/奈良まほろばソムリエ検定 奈良通1級
tsudakko
























