ほぼ毎日ウオーキングをして居るが、所により挨拶をする地域としない地域がある。
群馬の森は比較的人口密集地に近いし、大勢の人がウオーキングをしているので一切挨拶はない。
一度だけベンチに座っているおじさんが『こんにちわ」と挨拶をしてきたときにはビックリしながらも『こんにちわ」と返すことが出来た。
一方、城下町小幡は80%の人が挨拶をする。
残り20%の人は挨拶はしないが、前方に歩いてきたときには挨拶をする人かどうかが分かるのである。
その見分け方に最初は苦労した。
挨拶をしても無視されることがあり、挨拶をして気分が悪くなるのだ。
見分け方は簡単だ。
そっぽ向いている人は挨拶をしたくないオーラが出ている。
又、スマホを見ながら歩いて居る人も挨拶したくない人である。
挨拶する人はすれ違う前に目線を合わせてくる。
したがって、目線を合わせた人だけに挨拶すれば万事解決であり、お互いにハッピーである。
ところが、僕もおせっかいなところがあり、せっかく大勢の人が挨拶をする地域になってきたのだからと、目線を合わせない人まで挨拶をするのである。
すると挨拶をする人がまたまた80%になる。
20%の人は聞こえないくらい小さな声で返す人か、無視する人になる。
でも僕は挨拶を続ける。
この地区は中学校が遠いので自転車通学である。
中学生の90%が挨拶を率先してしてくる。
歩きの小学生も90%挨拶をしてくる。
その中で遠方まで一人で徒歩で歩いて通学する小学生の一年くらいの女の子が居た。
城下町の外れの方ですれ違うので僕は不審者と思われないように挨拶はしなかった。
しかし、僕は首の病気で少し首をかしげて歩くので特徴があり、いつしか覚えてくれて先方から挨拶をしてくれるようになった。
僕は挨拶する声に明るさと無害な人物である事を証明するようにさわやかな声を努力して出している。
いつしかその子も小学生四年生くらいになった。
大きくなったなあ。
畑仕事をしているおばあさんにも挨拶をする。
道端の福寿草にも挨拶をする。
春を告げてくれるかわいい花である。
本日もお節介な僕が歩いて行く。