僕の現代史(大阪万博にぎわう) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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昭和45年(1970年)

僕は26歳。


僕は新婚。

フアフアしていた一年であった。


誰でもそんな時期はあるもの。



大阪万博が開催されて父と母が出かけた。

大変盛大であったという。


大阪万博は好景気の象徴である。

のべ、6421万人集めたという。


日本はGNPが増え続け世界第2位に躍進、

僕の家業の家具店も忙しくなってきた。


僕も拡大戦略をとるべく研究していたが、

新婚気分が抜けづに、そののちのコンサルタント高篠先生の

門をたたくのが年末になってしまった。


先生にそこでちくりと言われた。

門をたたくのが遅れたね。

結婚と同時に僕の門をたたくのがふつう。


頭が痛いが、

何しろ、堀北真希のような固い子が僕の相手だったので、

結婚後恋愛をするというようなものであった。


昨日、テレビに堀北真希が出てきて、見ていたが

いま、ようやく堀北真希が山本耕史に恋をしている感が出ていて、

その恥じらい、あやしい美しさにテレビの前で

思わずごくっとしてしまった。


ちくしょう。


話がそれたが、

戦後25年間、父と母が10回以上建前祝いをしてきた

つぎはぎだらけの建物をすべて壊してしまうという計画であるから、

母の抵抗が予想された。


家具の需要は毎年10パーセントづつ伸び続け

国民一人当たり1万円になろうとしていた。

これは2万円に乗るのは時間の問題であった。


すでに飛行機で宣伝していたが、飛行機を飛ばすと

お客さんがすっ飛んできた。


すごいねえ。

飛行機を飛ばすと何百万かかるのかね?


僕の店もこの昭和45年から50年にかけて、

空前の売る上げと利益を計上する。


ちょうど中国の数年前の状態。

日本人による海外でのバク買いが始まった時期である。


まさかの停滞が始まる直前である。

経済音痴であった僕はそんなことは知らない。


この5年間で僕は巨額な投資を店舗ににかける。

今から考えても不思議な実行力であった。