僕の現代史(ブルーライトヨコハマ) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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昭和44年(1969年)

僕は25歳。


そして11月には26歳になり、

結婚をしたのである。


これを期に僕の現代史として、

昭和44年からの世の中を解説していきます。



街の明かりがとてもきれいねヨコハマ、、、


車に乗っても街を歩いてもどこからともなく

ヨコハマ、ヨコハマという歌が聞こえて

この年には大ヒットをしたのである。


さらに長崎は今日も雨だった。

いいじゃないの幸せならば。


など、まだまだ数えきれないくらいの歌謡曲が

ヒットしてグループサウンズとともに全盛時代であった。


時代は高度成長時代。

この年、日本のGNPが西ドイツを抜いて

とうとう世界第2位なった。


テレビ、映画の世界も

TBSで水戸黄門。8時だよ全員集合。などが始まり、

男はつらいよシリーズも映画化。


アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たす。

などニュースにも事欠かない。


千葉県松戸市のマツモトキヨシ社長が市長として

すぐやる課を設置。


いかに行政がすぐやらないかに

業を煮やしての実行であった。


僕も町役場に行って有名なたらいまわしの不親切を

経験した。


一度は経験しないと話にならない。


今は行政もだいぶ違ってきたが、

当時はそういうのは普通のことであり

だんだん町民市民がうるさくなっていって

解消されてきた。


順天堂が日本初のホームセンターを島根県に開く。

ドイトが日本初かと思っていたが違っていた。


だがホームセンターが軌道に乗り

なぜかたくさんの車が押し寄せる繁盛店になるのには

もうしばらく試行錯誤が続き苦しんだのである。


一方、家具店はまだまだ婚礼セット主体の業種であり、

今のように欧米化された店内になるには

時を要した。


僕もあの重い婚礼セットを一日に3セットを配達すると

腰が痛くなった。


そうです。

吹けば飛ぶような家具店は継続中であり

従業員は工場の職人以外はいなかった。


配達は僕とお手伝いのおばさんが行った。


よくやるおばさんだった。


これではいけないと大型化を考えるように

なったのである。