僕の幼少期(日本は戦争で勝った) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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昭和24年(1949)。

僕の6歳になる年である。

小学校は来年入学する。


戦争が終わったが、まだまだ日本人みんなが

貧乏であり食うのに必死であった。

それでも、みんな不幸せと思ったことがなく、

みんなが戦争がない国になったことで、毎日

笑って暮らせるようになった。


僕はある日、メンコを買ってもらった。

初めてきれいな絵の描いたメンコを買ってもらって

うれしくてならなかった。


ある日、悪ガキが来て、メンコで勝負しようと言ってきた。

何が何だかわからないが勝負したが、

僕の新しいメンコは悪ガキ達がみんな持って行ってしまった。


勝負など知らないぼくはべそをかくだけであった。

今でも思いい出すとくやしい。



5月、東京、大阪、名古屋証券取引所開設。

ようやく日本経済が動き出そうとしていた。


10月、湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞。

日本人初であり、日本人はどんなにか喜びと勇気を

与えられたか計りしれなかった。


戦前もたくさんの日本人がノーベル賞をもらってもいい

人物がいたが、すべて黄色人種ということで差別があったと

されている。



日本は戦争して負けたが、アジア、中東、アフリカなど多くの国が

独立するきっかけとなる人種差別撤廃に成功したといわれている。


アメリカにこそ負けたが、アジアその他の国との戦いでは

負けていなかった。

特に欧州にはアジア地区において連戦連勝であり、

イギリスに戦後皇室がご訪問されるときには

多くの葛藤があったほど、イギリスは日本に惨敗し、

多くの戦死者も出し、うらみもあったのである。


その結果、米国よりも大国であったイギリスは、

ほとんどの植民地を手放すこととなった。

そして世界の海を制していたイギリスに変わり、

米国が最強の国になった。


オランダもインドネシアをこの年に手放した。

インドネシアが独立してスカルノが大統領になった。


かくして世界は肌の色による人種差別をしていた

欧米に反省をせまるとともに、ノーベル賞においても

差別がなくなっていった。


オランダ人は言う。

インドネシアを持っていた時代は優雅でよかった。

日本と戦争をして、日本は負けたというけれど、

実は日本は勝ったのである。


なぜならば、インドネシアなど多くの国が

独立して、オランダはちっぽけな貧乏国になってしまったのだから。

そして日本は世界第2位の経済大国になった。


と、後に語った。