僕の幼少期(日本人のアメリカ好き) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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昭和21年。

僕は2歳から3歳になる年である。


僕に弟が誕生する。


当時は栄養状態が良くなかったので、

頭や顔が吹き出物だらけであった。

それを治療するお母ちゃんやおばあちゃん。

泣き叫ぶ弟。


そんな光景が今でも思い出される。


次の年にもまた弟が生まれた。


そうです。

団塊の世代誕生でこの子たちは将来どこへ行くにも

過当競争に巻き込まれる。

だが非常に競争力或る世代なのである。


だから弟たちは兄貴を追い越して立派な人間として、

今でも世界貢献している。


敗戦で国土が破壊された日本。


そんな中、日本人が次第にアメリカ好きに

なって行く。


鬼畜米英と一年前まで言っていたのにである。



それは特にマッカーサーの態度によるところが大きい。

そして彼は実行したのである。


天皇陛下を最初見下していたが、会見により

陛下をゴッド(神)と思った彼は陛下が帰るときには

臣下の礼を取ったという。


以後、天皇制の維持に努めるとともに、

日本に対して多くの援助を実行する。


日本国にいま騒がれているが、

絶対に戦争しないように平和憲法をGHQに指示。


問題はあるが、公職追放した。

戦前は監獄に入っていた左翼主義者を教職や新聞社、

放送局などに配置。

戦前とは180度違った教育と広報活動を繰り広げ、

日本は原爆をおとされても戦争が終結してよかったと、

しょうがなかったと思いこませた。


これほどひどいことをされて、韓国や中国のように

いつまでも日本にうらみ事をいうようなことを

日本人はアメリカに対ししなかった。


敗戦で無政府状態になっても、不思議な国日本は

耐えた。


それは、天皇が国民を励まされるため

全国に行幸を開始されたのである。


時には民間の家にも宿泊され、大した警備もつけないで実行されることは

マッカーサーにとって驚異的な出来事であった。


陛下の行幸に国民は各地で熱狂的に歓迎、

国民が支持してやまないのである。

涙ながらに拝み、がんばることを誓ったのである。