東松山古戦場跡 | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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にぎにぎしいタイトルだが、

昭和46年、東松山にショッピングセンターを

開店したしまむらが半年後にイトーヨーカドーを

50メートル横に迎えて苦しくも長い戦いがあった。


その戦いの後、今はどうなっているのか見に行った。


埼玉県の山村の町、小川町出身のしまむらとヤオコーの

物語が大変面白い小説風実話の本がある。

あまりに面白いので現地を熊谷店訪問の帰りに視察することにした。


昭和46年、しまむらは東松山にショッピングセンターを開店する。

当時の年商が6億円。

小川信用金庫に3.5億円借りての一大決心であった。


理事長によしたほうがいいですよ。

と言われていたが、強行した。


総合スーパー(GMS)を目指していたのだろう。

その後は2度とそんなことはしなかった。

ペガサスで渥美俊一先生に止められた。


売れなくなって、金融機関も貸してくれず、大変な苦しい

状況に追い込まれたのである。


その時につぶれていれば、今日のしまむらはない。

でも、なんとか切り抜けたおかげで、しまむらの

ビジネスパターンができたのである。


イトーヨーカドーは350億円、対するしまむらは3店舗で6億円。

イトーヨーカドーの眼中にもなかったろう。

しまむらの社長はペガサスで雲の上の存在の伊藤社長を

羨望のまなざしで見るばかりであった。


ちょうど、ニトリとBウエーブ熊谷店のようであり

大いに興味深いのである。

今はニトリは3000億円を超える。


しまむらがイトーヨーカドーの29800円のワンピースを

半額にしても全然売れなかった。

どうにもこうにもならなかった。


その時に渥美先生の戦略を採用する。

全商品上限カットである。

イトーヨーカドーの上限の半額までしか置かない。


まるでニトリの戦略と同じである。

しまむらもニトリも多少品質は落ちても安さが一番と

言っていたのである。


今は両社とも品質管理を重要視している。


お客様が徐々に戻り始めてから金融機関が

貸してくれるようになった。

ここで金融機関とは無借金経営であっても 

常備、運転資金を借りるべしという決まりができた。


現在、東松山の駅前には建て替えて平屋になったしまむらとアベイル。

イトーヨーカドーのビルは新業態のザ、プライス。


しまむらは渥美先生に言われてから300坪くらいの店パターン。

絶対に大きな店は作らない。

そして、大変な好業績であり利益を上げている。


しまむらはまだまだ、日本でやれることがいっぱいある。

将来性のあるビジネスモデルをいろいろ持っているのである。


かたや、イトーヨーカドーはセブンイレブンにおんぶにだっこ。

単体では試行錯誤しているのは新聞で知るところである。

しまむらにとって、思い出すと背筋が寒くなる出来事であったが

そのおかげで、現在のビジネスモデルとフォーマットが出来たのである。

いわば恩人である。


東松山の戦いの跡。

感慨深く、見てきました。