人生の師 その30 (苦闘のインターネットは?) | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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平成19年6月。

長男丈久はインターネット事業部とエクステリアセンターの

責任者をしていたが、10月で完全に足を抜いて

B家具アウトレット事業部の店長をする予定であった。


4か月で段階的にM君に事業を渡すというものであったが、

M君も心細げであった。


しかしながら、本丸の家具の大改革であるから

絶対成し遂げねばならなかった。

丈久の代わりにOさんが入ってきた。


が、インターネットは下り坂でガラガラ音を立てて

崩れていく状態であった。


インターネット会議で山本先生のハッパが飛んだが

それから長い長い道のりの苦戦が続くのである。


よし、来年3月には再び最盛期の売り上げに戻すぞ。

と意気込んで、2年たったができなかった。

とうとうしびれを切らしたKさんがやめたいと言ってきた。


すでに何度もなんどもM君はひきとめてきた。

だがあきらめるより仕方がなかった。


続いて、Sくんが入ってきた。だが急には

売り上げは上がらず、苦戦が続き、

とうとうインターネット事業部は12月期赤字であった。


そこで、先生の言って来たとうりに、赤字の場合

賞与はゼロ、ということになった。

それが平成22年2月のことであった。


それから、インターネット事業部のモチベーションは下がって

M君の苦悩は深まるばかりであった。

部長の前でも、私の前でも何度も涙を流した。


苦節3年、6月期、少し黒字になったが、

それは楽天店、ヤフー店の頑張りであり、イーリビング本店を

担当するM君の店は浮上せず、相変わらず全体の足を引っ張っていた。


長い間、苦戦が続いたイーリビング本店が急浮上し始めたのは

秋口からであった。


そしてとうとうイーリビング本店が黒字を達成したのは

昨日、平成22年12月28日。


苦節3年、彼も人間がひときわ大きくなったのではないか。

あきらめない根性でがんばった。

何度もダメかと思っただろう。


失敗者ではない。

まだ成功していないのだ。


その言葉がいきいきと響いてくる本日である。