人生の師 その27 | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

ブログの説明を入力します。

店長の片腕は誰かいないかと問われ、私は答えた。

一人,店長の弟がS忠にいます

先生の顔が明るくなった。

何としてでも当社に入社してもらいなさい。

それができれば、この業態転換は成功間違いなしです。




ということで、私は説得するのが当面の仕事であったが、

S忠は個人の携帯電話はロッカーの中であり、昼間は通じなかった。

夜になっても、仕事を12時過ぎまでしていて、バタンキュウで寝てしまうので

つながらない。

本人の留守電に入れてもかかってこない。


これはいつものことであった。



仕方がないので、S忠の勤務する店に電話を入れた。

そして、大事な話があるので一度戻ってきてほしいと伝えた。

わが社の一大事である。




その後、本人と先生の面談などをとうして、日程が決まった。

10月いっぱいまでは勤めなければならない、S忠の店長に気に入られていたようだ。


ということは、それからB家具アウトレットの全国のお店に

研修に行くので、業態転換は来年ということになった。




そこで、先生の指導で工程表を作ることになった。

結局、5月1日オープンとなって、一年がかりの

工程表が作られていった。




先生曰く、良き準備は良き結果をまねく。

本当に徹底した準備が行われることとなった。




それまで、資金が持てばよいが、おふくろの資金投入は6月に

実行されたが、それもダウンする売り上げの前では減るばかりであった。

とうとう12月でなくなりそうになった時

奇跡が起こった。



それは、藤岡土木に工程表を見せた時であった。

責任者の顔色が変わった。

そして言った。



白井さんの予定は今年の予算には入っていません。

ですが、これほどまで綿密な工程表が作られているのは

国道拡幅で見たことがありません。

県の責任者の部長に掛け合ってきます。

他の土木の予算を借りてでも工程表にあわせたいとおもいます。

一週間時間をください。




そして一週間後吉報はもたらされた。

ありがたきかな、工程表。

そしてわが社は助かったのである。




話が三男栄次からそれたが、彼は子供の時

ひょうきん栄ちゃんと言われていた。

自分では天才栄ちゃんと自称していた。

天才バカボンから持ってきたと思うが、

良く忘れ物をした。

友達の家に行くと必ず何か忘れてくる。

友達のお母さんが届けてくれたりしていた。

そういうところは、私のおやじ、吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ、

初代にそっくりであった。




工作や絵が天才的にうまかった。

幼稚園の時、あまりに芸術的な絵を描くので

私のおふくろに言ったら、絵では食っていけないから

絵かきには絶対にするなと言われたものだ。




私は兄弟で同じ会社又はお店でやっていて、仲たがいした

家具店を数多く見てきたので、当店ではそうする気がしなかった。


だが目標は先生から高く設定するよう(先生のノウハウにかかわるので具体的でない)

言われているので、いくら人出があっても足らない。

そういうことで、三男は入社が決定した。