さて、その後僕は順調に仕事をする毎日となった。
夜は食後など、銭湯に通う毎日であった。
生まれて初めて餃子という物をT先輩におごってもらった。
こんなうまいもんがあるのかと思った。
後日、その餃子屋は街一番まずい餃子屋であるといわれて驚いた。
T先輩はもう一人の先輩社員をよく批判していた。
どこにでもよくいるゴマすり上手であるというのだ。
そのゴマすり上手のばたやんは僕をかわいがってくれた。
新婚ほやほやのばたやんは最古参であるのに遠いからと
毎日定刻に帰って行った。
今ならその気持ちは良く分かる。
そして、配達の残りが仕切れないといつも僕に残業を押し付けて帰っていった。
その日も、閉店間際の出発であった。
3件ほどの配達であるが、最後のお宅は婚礼である。
桐ダンスと鏡台である。
今のようにドレッサーでなく、座鏡台である。
秋の日はとっぷりと暮れて9時ちょっと前ながら、その部落は
深夜のように静かであった
助手などいない一人だけの配達は心細いものである。
長谷川さんという婚礼のある家とだけ書いてあった。番地もない。電話もない。
長谷川さんを見つけてたずねると、おばあちゃんが出てきて言った。
うちも婚礼があるけど、うちはまだ買ってないよ。
この部落は全部長谷川だよ、婚礼のある家も7件もあるよ。
僕は仕方ないのでお礼を言って探し始めた。
まず、沼の向こう側の家へ車が入りそうもないのでとぼとぼと真っ暗な中を
歩いていった。
カッパが沼から出てきて沼へ引きずり込むのではないかと
恐怖心と戦いながらたどり着いて聞いてみると違うという。
帰りはライトをつけっぱなしの車まで飛んで帰ってきた。
3件回ったとき、一番最初の家の前でおばあちゃんに止められた。
ハニカミ王子のような18歳の僕がいかにもかわいそうで見ていられなくて
一緒に車に乗って回ってくれるというのだ。
次々長谷川さんの家を訪ねて聞いてくれたが、皆違うという。
7件全部回ってくれたがぜんぶ違うという。
途方にくれていたが、最後におばあちゃんはもう一軒あることに気がついた。
もしやと思っていってみた。
みすぼらしい、家であった。
でも、その家こそ当店でお買い上げの家であった。
おばあちゃんは宝の山を探し当てたような大きな声で笑ったものだ。
僕はもしかして僕の本当のおばあちゃんのような気がして一緒になって
笑った。
電話もない家であったが、なんとしてでも娘の結婚には
タンスと鏡台と小物を購入するという当時の親心であった。
終了は夜の11時であった。
何度も何度もお礼を言っておばあちゃんとわかれてきたが、
名前がフルネームで書かれてあればなんでもない件であった。
僕の良い修行になり将来の僕の店ではフルネームが義務づけられた。
お店に帰ってきてみると、裏口は門限超過で戸締りされていて、
途方にくれた。
誰も僕が配達に出ているのを知らない。
知っているのは新婚のばたやんだけである。
これも将来の僕の店の教訓となった。
苦労している者を経営者は知っていなければならない。
さて、僕は電柱をよじ登って、まずお手伝いのC子ちゃんとナナちゃんの居る
部屋をこんこんとたたいた。
驚かれたが、寝ていた二人のうちどちらかがあけてくれた。
僕が電柱から窓をあけて入っていくと、
二人とも布団をかぶって寝ているふりをしていた。
今になってみるとすっぴんは見せたくないという女心であるが
当時の僕はまったく分からないのであった。
その後もよく門限超過でお世話になったC子ちゃん。
登場です。
つづく。