2代目家具屋のおやじ青春時代 | 吹けば飛ぶよな家具屋のおやじ

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わたしが初代吹けば飛ぶよな家具屋のおやじから言われて、

修行の道に入ったのは昭和37年3月のことであった。


わたしは自分で言うのもおかしいが、高崎商業高校入学は

秀才として入学した。

3人兄弟の話し合いの末、吹けば飛ぶよな家具屋は誰も継ぎたくない

というと、お袋が、誰もいやなときは長男が継ぐことに昔からなっている、

という。

しぶしぶ引き受けたが、商人は大学も出てはならないという。

それから勉強の目標を失ったわたしは急降下で成績が下がった。


高校3年のときはまさかの単位が取れなくて落第寸前まで行った。

追試験というのを受けて驚いた。

当時は1クラス50人以上いて早く出て行ってもらうべく

試験の答えを教えてから試験をするのだ。

これなら勉強しないわたしでも出来た。


何とか卒業できたわたしは修行のたびに出ることになった。

当時東京方面の大手の家具店であった。


出発に先立ち、親父が行った。

帰ってくるまで女を5人くらい泣かして来い。

それがわたしに課せられた修行なのか。

大変厳しいノルマを課せられたわたしはどこまで出来るか

貴乃花が宮沢りえを泣かしたごとく

5人の目標で勇躍として出発したのであった。

この続きは又の機会に。